1996年7月21日FMW後楽園ホール | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

高校1年生の淳一少年は夏休みに入ります。

酒屋のアルバイトでお小遣いを貯め
7月シリーズを3回も観戦に訪れます。
汐留大会を含めると4回。

この頃、学校や酒屋のアルバイトにも慣れが出始め、初めてアルバイトで失敗をします。

『山崎12年』というウイスキーを贈答用に包装する機会がありました。

包装は得意でしたので簡単に考えていました。いざ、買い物かごから箱を取り出すと箱からウイスキーが滑り落ち床に…。

ガシャーン!!

大きな音と共に甘~い香りが店内に充満しました。

淳一「やっちゃった…。」

お店のルールに従い5800円(ウイスキー代)
を支払いました。正直この出費はかなり痛かった…。

しかし、淳一少年は今まで嗅いだことの無い良い香りがかなり気になり次月のアルバイト代で『山崎12年』を購入し、祖父にプレゼントしました。
もう、昔のことなので話しますが、祖父から一口いただいたウイスキーは格別で
ウイスキー、ブランデーの虜になりました。
高校時代はアルバイト代で高級ブランデー
(ヘネシーやレミーマルタンなど)を買うのが楽しみになっていました。
(くそ生意気な高校生でした。)
今までタバコは吸わなかったですがお酒は弱い(高校生なので当たり前です。)ながら好きで隠れて飲んでいました。

未成年の飲酒・喫煙は犯罪です。
絶対にやめましょう。

話をプロレスに戻します。

先月の後楽園大会で初めてリッキー選手のファンクラブ募集のチラシ配りをしました。約3週間経過しましたが、入会希望はおろか問い合わせすらありませんでした。

この日も大会終了後に妹とチラシ配りをします。500枚を配りますが結果は先月と同じく入会希望、問い合わせゼロ。
リッキー選手に公認されたファンクラブは会長の自分しかいなく、一人親方状態。
リッキー選手にも報告できずに肩身の狭い思いをしていました。

この日の対戦カードです。



先月に引き続き、ポーゴ&吾作の師弟コンビが出場。

セミファイナルとメインイベントは8月1日汐留にて行われるインディペンデントワールド世界ヘビー級王者決定トーナメント準決勝が組まれました。

セミでは1回戦でポーゴ選手を破った
(5月27日、博多)田中正人選手とレスリングマスター大矢剛功選手(1回戦は6月27日勝浦、対ボウダー)が激突。
田中選手がローリングエルボーを決めて決勝に駒を進めます。
ハヤブサ選手欠場中にFMW正規軍の中から頭一つ抜けた存在で、ファンも田中選手の期待を裏切らないファイトに信頼していました。

メインでは金村選手
(1回戦6月27日勝浦、対中川)と
スーパー・レザー選手(1回戦6月17日高崎、対非道)のW★ING対IWAプエルトリコ軍の大将対決。
金村選手がレザー越えを果たし汐留のリングへ。

1年前の「第1回ヤング・オブ・インディペンデント・リーグ戦」の決勝と同じカードが汐留で組まれます。
(この時は、リーグ戦で金村選手が勝利、決勝戦ではサンダー・ファイヤー・パワーボムで田中選手が初代優勝者の栄冠を手に入れました。戦績は1対1)


最後に第2試合に出場したアルコン・ネグロ選手を紹介します。


後にブラック・ハヤブサと改名。
本家ハヤブサとも特に交わらず消えていきました。
メキシコのマスクマンです。

対戦相手のザ・ヘッドバーガー選手はスキンヘッドにペイントという以外は記憶にありません。

大ファンのリッキー選手は
TAKAみちのく選手
闘竜選手(現、マグニチュード岸和田選手)
とトリオで6人タッグマッチに出場。

何気に豪華なトリオです。

このシリーズで佐藤淳一プロレス人生の転機が訪れます。