高校生活、アルバイト。 | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

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2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

神奈川県立商工高等学校へ入学した淳一少年。

学校は、商業科と工業科に分かれており、
工業科の電気科を選択します。

自分が通っていた当時は、電気科は
2クラスに分かれており女子は0人。

全員が男子のむさ苦しいクラスでした。

逆に商業科は女子の中に男子が3~4人。

校舎も離れていたため、女子に飢えていました。

部活はプロレス観戦をするために帰宅部だったので、唯一、同学年の女子(商業科)と交わるのは体育の授業だけでした。

学期によって、いくつかの選択式(例をあげると陸上、バレーボール、水泳等)だったので、やりたい授業を選択するのではなく、
商業科の女子が多くいそうな授業を選択する不純な動機。

中学時代は生徒会やバスケ部でもムードメーカーでしたが、高校時代は、プロレスとSPEEDの追っかけをするオタク学生でした。

高校生になり、プロレス観戦の資金作りのためにアルバイトを始めます。

コンピューターが苦手な機械音痴なので、
コンビニやスーパーのレジ仕事は避け、
近所のディスカウントの酒屋さんに面接に行きます。
(最近は酒の販売自由化でスーパーでも安くお酒が買えますが約20年前は酒のディスカウントストアとスーパーではかなり価格の開きがありました。
アルバイト先は“D”のマークが目印の酒屋です。今は少なくなりました。)

新聞折り込みチラシの求人には、大学生以上(高校生不可)と書かれていましたが、
ダメ元で電話を入れました。

淳一「求人のチラシを見ました。面接をお願いします。」

指定された日に面接に行きます。

社長「高校生?求人に大学生以上って書いてあったでしょ?」

淳一「高校生ではダメですか?真面目に働きます!!」

社長「高校生はよく当日欠席が多いから困るんだよね。あとうちは茶髪やピアスもダメだよ。」

淳一「絶対に当日欠席はしませんので雇っていただけませんか?」

熱意が通じたのか、当日欠席をしたらクビという条件付きで雇っていただくことにならりました。

仕事内容は、品物の補充や重たいものをお客さまの車まで運び、駐車場係など。
(最後の方は発注業務なども行っていました。)

女の人がレジを担当していたので、男子は力仕事が多かったです。

スタート当初の時給は750円。

IWA・JAPANプロレスに就職するまで、他のアルバイトも掛け持ちしますが、酒屋のバイトだけは最後まで続けました。
約5年間。
(続けたというより辞めさせてもらえなかったです。)

最後の時給は1250円。

自分で言うのもおかしな話ですが、勉強はできない学生でしたが、仕事はできる方でした。
自分の勤務態度が良かったのか?
その後、何人かの高校生も採用されましたが自分のように長く続いた人はいません。

当時のアルバイト時代のあだ名は、

『スーパー・高校生・佐藤』

略して『SKS』

と呼ばれていました。

アルバイトの勤務態度は◎

学校では、雨が降ると欠席。
プロレスの試合があると早退。
どうしても学校に行かなければならない日に雨が降るとタクシーで向かいました。

もちろん遅刻で…。

タクシー運転手さんからは
「高校生なんだから、タクシー使わずに
学校に通いなさい。」

「きみ、もう遅刻だよ。真面目に学校行きなさい。」

何人かの運転手さんは初対面の自分に対して、ありがたい助言していただいたにも関わらず、

淳一「ここで結構です!!おつりはいらないです!!」

と1000円札を投げ捨てるように払い、
次のタクシーを拾って学校へ。
(アルバイトである程度お金がありましたので、気に入らなければ我慢せずにお金で解決。)

いつぶん殴られてもおかしくない行動を取っていました。
東戸塚駅のタクシー運転手の間では有名だったかもしれません。

今、思い返しても高校生~20代前半までは本当に恥ずかしく、酷い行動ばかりでした。

反省しております。