自分は、2001年4月1日から四谷三丁目にあるIWA・JAPANプロレスの事務所勤務になりました。同年4月末に菊池直人リングアナ(元DRAGON GATE)が退職されてからは団体の広報として仕事をしていました。
毎年、選手名鑑の資料を集め週刊プロレスさんに提出していました。
2003年用の資料を集めているとき、一宮章一選手だけ資料がまだでした。
一宮選手に催促すると「わかった。○○までにだすよ。」と返事が。約束の日になっても提出されないので再度催促をすると「ごめん。忘れてた。すぐ出すよ。」
何回かのやり取りのあと、「週プロの人と会ったから直接渡したよ。」
自分は安心して新しい年を迎えました。
そして掲載された名鑑はこちらです。

掲載団体はDDT。さらに寸評の欄には「H14年11月にDDT入り。」
その当時、一宮選手はIWAとDDTの両団体に出場していましたが、IWAでは連日ワイドショーでゴージャス松野選手と話題を振り撒いていたのでIWAに比重を置いているものだと勝手に思ってました。(2002年はIWAの枠で掲載されています。)
例の選手名鑑の不穏な動きに関しては浅野社長をはじめ誰にも報告していませんでした。
『ヤバイ。社長に選手名鑑のこと(なんでDDT所属で出ているんだ!!)を突っ込まれたからどうしよう。』後ろめたさで毎日ドキドキしていた記憶があります。
一宮選手も一通りIWAで話題を振り撒き、2002年12月に松野選手と初のシングルマッチ。2003年1月にはタイガー・ジェット・シンとシングルマッチを最後にIWAには出場しませんでした。
昨今プロレス業界は、二団体所属や円満に退団・移籍を発表する傾向があり、レスラーも活動しやすい環境になったと思います。
その昔は普通にシリーズを終え(辞める素振りをみせずに)、次期シリーズの対戦カードが発表されているのにライバル団体に乱入!! など日常で行われていた気がします。
そんな乱入にファンも熱くなっていたと思います。(少なくても自分はそうでした。)
一宮選手もIWAを捨ててまで必死にプロレス業界で生きようとした結果、一時期DDTの社長にまで上り詰めました。
あの時、誰かに相談していたら違った展開になったかも…。
以上、選手名鑑が発売されると思い出す苦い思い出です。