❏❏❏ 回顧録:2007年8月25日 東京・慈恵医大病院

 

ステロイド療法50日目、3回目の手術から18日目

 

※後腹膜リンパ節郭清手術により、腹部から取り除いたリンパ節約50個は、がんの壊死組織だった(2007年8月13日)。

 

退院の日を迎えた。

 

体調はあまり変わらず50点くらいだ。

 

ノートには55点とか書いてあるけど、実際には50点前後でこの1週間は推移していた。

 

 

「退院」というと、さぞかし元気になったと思われがちだが、実際にはそんなことはない。

 

病院という場所は急性期のときにのみあり、回復が緩慢になったら、自宅療養となる。

 

 

逆に言えば、「入院して医師がずっと見ている必要はない状態」にまでなったということだ。

 

しかし、患者本人にすると、こんな体調で家に帰って大丈夫なのか?と不安になる。

 

不思議なものだ。

 

 

あれほど早く退院をしたがっていたのに、退院の日になると不安になった。

 

この日は、朝から、荷物整理をしていた。

 

ほどなくして妻が空のスーツケース2つを持ってきてくれた。

 

そこに詰めていく。

 

下着類、Tシャツ、ジャージ、書類、時計、漫画本、カレンダー、

 

まるで自宅の自分の部屋のようにいろんなものを持ってきていた。

 

 

詰め終わり、看護師に伝えると、看護師が忘れ物は無いか?部屋の状態を確認していく。

 

この病棟には、何日間、居たのだろう。

 

部屋は違うけど、既に5回も入院している。

 

2月に入院したのが最初だから、

 

6カ月以上たったことになる。

 

とんでもなく長い期間だった。

 

 

確認が終わり、お礼のあいさつをして、1階の会計窓口に移った。

 

数百万円という数字が出て驚く。

 

クレジットカードでなくては払えない金額だ。

 

 

そのあと、妻が運転する車に乗って自宅に向かった。

 

車が赤信号で止まると安全ベルトでお腹が締め付けられて痛い。

 

「うわぁー」と叫んだ。

 

開腹手術の痕が痛くてたまらないのだ。

 

 

メスでお腹を切ってから、まだ18日しかたっていない。

 

「本当にくっついているのか?」いつも心配になっていた。

 

病院の中では、お腹を押さえて大事に大事に歩いていたが、一歩病院を出ると、普通の社会だ。

 

まさか、シートベルトで締められて痛いとは驚いた。

 

私の叫び声で、妻も子供達もビックリしていた。

 

「大丈夫?何が合ったの?」

 

そう言われ事情を説明すると、家族は安心していた。

 

何か大変なことが起きたのかと思ったという。

 

 

だが、私にすると、何か大変なことが起きたくらいに、シートベルトとブレーキが痛かった。

 

「こんなんで、明日から生活やっていけるのか?」

 

私が一番不安になった。