前回のブログ
で、
「サロマ100km」直前に、血液の検査値に一部改善がみられました、
大会出場の了解を医師から頂きましたと、ご報告しました。
どういう状況だったかと言うと、
間質性肺炎/肺線維症の血液中「腫瘍マーカー」、KL-6値が高かったのです。
4月8日から、その基準値(499 U/ml以下)を超え、以下のように推移していました。
534 (4月8日) → 540 (6月10日) → 523 (6月21日)
腫瘍マーカーが、3カ月以上高いなんて、良いわけありません。
そして、更に嫌なことに、6月10日の、CT画像検査で、
「肺に新たな白い影があり、悪化の可能性あり」と、画像診断部から報告ありました。
しかも、その頃、頻繁に「咳」が出ていました(参考ブログ
)。
こうなると、通常、病院側は、「間質性肺炎/肺線維症」の「再発」を疑います。
私は、「がん」よりも、この病気の方が怖いです。
性格上、外科的な治療の方が得意なので、間質性肺炎の内科治療は、苦手です。
それゆえ、私には、闘い甲斐があるわけですが。
サロマに出場できたのは、6月21日のKL-6に、多少、改善が見られたため、荒屋先生の慈悲でした。
私が6年間、サロマ復帰のために、病気と闘ってきた事を、荒屋先生は知っているからです。
だから、「お情け」の「1回限り」走っても良い、の了承でした。
それに、「この肺じゃ、多分、完走できないだろうから」、とも思われていたはずです。
その「1回限り」の条件として、7月22日(昨日)の「肺拡散能検査」と「血液検査」が、芳しくなかったら、「治療を再開始する」ことでした。
先生は、「プレドニン」に加え、「抗線維化薬」の使用の選択もあり得る、と言っていました。
だから、私は、サロマ終了後は、ずっと暗い気持ちで過ごしていました。
そして昨日の検査は、「審判の日」だったのです。
勿体ぶっているようで、ゴメンナサイ。
結果は、KL-6 (=483 <基準値499)で、陰性化(正常化)し、
更に、不思議なことに「肺拡散能 DLCO」に大幅改善が見られたのです。
検査技師と、荒屋先生は、「不思議だ、不思議だ」と、言うのです。
なぜなら、この「肺拡散能DLCO」は、治療後、もう6年も経っているし、年齢も重ねて
いるから、「改善しない」と言うのが、「定説」だからです。
私自身も、結果が出るまでは、「頼むから、悪化だけはしていないで欲しい」、「治療再開だけは、嫌だ」とだけ思っていました。
この2カ月間、色々やったのが良かったのかもしれませんが、本当にビックリの結果でした。
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