*『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』著者 雁屋 哲 を複数回に分け紹介します。11回目の紹介
美味しんぼ「鼻血問題」に答える 雁屋 哲
何度でも言おう。
「今の福島の環境なら、鼻血が出る人はいる」
これは”風評”ではない。”事実”である。
2年に及ぶ取材をへて著者がたどりついた結論はこうだ。
「福島の人よ、福島から逃げる勇気を持って下さい」
**『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』著書の紹介
攻撃的な牛の群れは何を物語るのか
富岡町の中を菅野さんに案内していただきました。
菅野さんのご自宅は新築したばかり、現代的なすてきな造りの家です。中を見せていただきましたが、家具も電気器具も真新しい上等なものばかりです。
菅野さんはただ、ため息をつくばかりでした。
菅野さんのご自宅の前の線量は、2マイクロシーベルトありました。
これでは、居住は難しいでしょう。
富岡町のJR駅舎にも行きました。
ひどく破壊された駅舎に、「富岡」という駅名の表示板が残っているのが無惨でした。
プラットホームから海が近くに見えます。海までは何もありません。
菅野さんによれば、大震災前は駅から海まで家が立ち並んでいたのだそうです。
それまでに、青森、岩手、宮城と被災地の様々な姿を見てきましたが、この富岡町の姿は、無惨としかいいようのないもので、心の中に冷たい風が吹き込むような思いがしました。
富岡町で、一番怖かったのは、牛の群れに襲われたことです。
かつて肉牛として飼育されていた、いわゆる黒毛和牛の群れです。震災後逃げ出して野生化したのでしょう。
牛は放射線の怖さを知らないから、草をふんだんに食べることができて、元気そうです。
飼育されている牛は耳に黄色い札がついています。しかし、何頭かの子牛には耳に札がついていません。菅野さんによれば、震災後逃げ出してから生まれた子牛だから、人の手がかけられておらず、耳に認識用の札もついていないのだそうです。
私たちが牛を見ていると、牛たちも私たちの存在に気がついたようで、全頭私たちの方に視線を向けます。
そのうちの数頭が私たちに向かって走ってきました。
その牛の表情は凄かった。牧場で見る牛とはまるで目つきが違います。
闘牛場で見る牛の目つきです。
数頭がこちらに向かってくると他の牛も全頭従って、やってきます。頭を下げて角を突き出し、本気で攻撃する姿勢です。
私は、撮影をしていたカメラマンを慌てて呼び戻し、菅野さんは車を発進させました。
そのとき、先頭の牛は私の窓の近くまで迫っていました。
その表情の恐ろしかったこと。
何が怖かったといって、その目つきです。いわゆる、完全に行ってしまっている、という目です。闘牛士の味わう恐怖がどんなものかわかりました。こんな体験は初めてです。
柔和なはずの牛がどうしてこんなに凶暴に攻撃的になったのでしょうか。
人間の飼育から自由になって、野生を取り戻したのだ、といえば良い理屈付になりますが、1万年以上も人間に家畜として飼われてきた家牛は、1年や2年でいきなりアフリカのバッファローのようにはなりません。
私は一つの牧場の大きさが富岡町自体の数十倍以上あるオーストラリアの牧場で、自由に生きている牛をたくさん見てきています。
オーストラリアの牧場では人は牛の健康状態を気にかけこそすれ、牛が食べられる大きさにまるまで、全く手をかけません。
富岡町で私が会った牛たちよりはるかに野生です。そんな自由な環境にいても、牛は攻撃的にはなりません。
富岡町の牛はどうしてしまったのか。
こちらから、何を仕掛けたわけでもないのに、突然牛の方から攻撃してくるとは、信じられないことでした。
本当に怖い思いをしました。菅野さんによると、自動車と牛が衝突する事故も多いそうです。
※続き『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』は、10/29(木)22:00に投稿予定です。