危機を生き抜くための!BCM_vol.002

BCMとは
BCM:Business Continuity Management/事業継続マネジメント


BCMとは、守ることではなく・未来に向けかわることである


歴史にありました・まさにこれBCMです


「人」を財産と考え、「リストラ」せずに藩財政の立て直しを図る

関が原の戦いは家康の勝利に終わりました。上杉氏は兵力を温存したままであり、最後まで徳川氏と戦うという選択肢もありましたが、徳川政権が誕生したとき周囲を敵対勢力に囲まれ孤立している状況を前にして、直江兼続は交渉により決着をつけるという苦渋の選択を行いました。その結果、上杉氏は120万石から30万石に減らされ、米沢の地に移されました。財政規模が縮小したときに最も簡単な方法はリストラ(家臣を減らす)することですが、「人(家臣)は組織(大名家)にとって財産である」という考え方に立つ兼続は、さまざまな工夫と財政改革による乗り切りを図っていきます。まず、自分の6万石の石高のうち5万石を藩に返上し、残りの1万石のうちの5000石を自分の家臣に分け与え、自らは5000石になりました。何よりも藩をここまで苦境に陥らせた家老としての責任の所在をリーダーである自分に認め、自分から率先することにより財政改革に乗り出していったのです。また、藩の財政規模が4分の1になったにもかかわらず、家臣の石高は、士気を考えて3分の1の石高の規模までの削減にとどめました。

兼続は藩財政の苦しさを積極的な経済施策の推進によって変革していきます。最初に奥羽の不毛の大地に用水を引いて美田に変え、次に、金・銀山の開発に着手し、半田銀山(福島県伊達郡)の開発をはじめ、新たな鉱山開発を行っていきました。また、米沢盆地に青苧を植え、栽培を開始しました。さらに、ベニバナ、コウゾ、ウルシなどの換金作物を栽培するほか、鯉の養殖なども手がけています。考えられるありとあらゆる施策を展開することにより、財政再建に成功しました。30万石から51万石に米の収穫量を引き上げたほか、金・銀山や殖産興業からの収入により人員削減することなく藩財政を黒字化しました。

過去から学び、将来につなげることの大切さ

米沢藩では9代藩主に上杉鷹山という人物が現れます。鷹山は江戸時代中期に悪化した財政改革を成功させた名君として有名ですが、鷹山の改革はすべて直江兼続が江戸時代初めに行った財政改革を手本としています。鷹山は財政改革を行う一方で教育にも力を入れ、藩校を設立していますが、その手本となったのも兼続が江戸時代の初めに開設した禅林(ぜんりん)文庫という図書館でした。禅林文庫は蔵書5万冊という当時としては東日本で1、2の規模を争う図書館です。また、兼続は印刷事業を起こすなど実用的な事業を数多く実行した人であり、それを受け継いだのが鷹山です。

梟雄と呼ばれる戦国武将達の中で、「義」、「愛」の精神を貫き通しながら家臣や人民の管理や経済政策を実行し、敵対勢力に囲まれながらも上杉氏の繁栄を築き上げた直江兼続のリーダーシップや人・組織マネジメントは時代を超えてリーダーに求められる本質であるといえるでしょう。



未来に最大限効果的なものを見据え

勇気ある判断で

残すもの残さないものを見極め

進歩するよう生まれかわること

それが本当に守ることになり優しさでもある

本当に強いBCMです



生き抜くために時前の危機管理戦略が必要なのです


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