聖週間の続きです。
時間を少し戻して聖金曜日のできごとですが、記憶が若干あいまいです。
理由は読んでいただけると分かります(笑)
洗礼式の前日、仕事帰りに教会に行きました。
聖金曜日の祭儀です。
司式はK田司教様でした。
この日はキリストの死の当日ということで、はっきり言ってお葬式のような雰囲気でした。
いつも祭壇に飾られる綺麗なお花も無し。祭壇の十字架も、朗読台の布も無しです。
そして入祭の歌も無し。
聖堂はしーんとして、起立した会衆者の前を司祭団が祭壇に向かって進みます。
そして祭壇についた司教様は床に平伏。私たちも跪きます。
着席すると、ほぼいつも通りに第一朗読・答唱詩編・第二朗読。
そして『受難朗読』
小芝居再び!ですが、受難の主日の時よりもずっと長かったです。
私たちはまたしても群衆で、ピラトさんの「この人、別に悪くないんじゃない?」という言葉に「いーから十字架につけろっての!」と言い張りました。
さて、ここでアクシデント発生。
…なんか目の前が暗くなってきた。
はい。脳貧血発動~。たぶん教会では4回目ー(笑)
なんですかね。時々なるんですけど。
立ったまま本を持って真下を向いていたので、顔を上げてちょっと姿勢を変えてみたりして、何とかやり過ごしました。
しかし額にはうっすらと汗かいてたりして(汗)
朗読が終わって、司教様のお説教。
座って体調回復に励んでました。
次に『盛式共同祈願』
文字通り、普段のミサの時の共同祈願よりも盛りだくさん。
でもってここでも立つんですが、またしても途中から意識が遠退きだしてふらふら。
なので、何を言ったか覚えてないです(笑)
やっと着席…と思ったら、『十字架の礼拝』でまた起立。
キリストが架けられた大きな十字架が聖堂の後方から会衆席の間を通って、祭壇の下に置かれます。
そして聖体拝領の時と同じ要領で、会衆者全員が十字架の前に進んで礼拝。
十字架を迎えるときはグロッキーでしたが、礼拝のために歩き出したら血が巡って意識回復してきました(笑)
最後に聖体拝領。
聖金曜日の典礼は『ミサ』ではないということで、祭壇でのパンの聖別が行われず、前日のミサで聖別したご聖体が授けられます。
まぁ、私はこの時点でまだ洗礼志願者でしたので、相変わらず祝福をいただきましたけど。
教会での典礼=『ミサ』と呼ぶわけじゃないんですね~。
ここちょっと難しいですね。
『ミサ』は、キリストの最後の晩餐に由来して、パンとぶどう酒を聖別し分かち合い、復活の恵みに感謝する儀式。
イエス様が「こうするといいよ」と教えてくれた祭儀ってことです。
でも聖金曜日。イエス様は十字架の上で息を引き取り、復活前。つまりお葬式状態。
なのでパンとぶどう酒の聖変化は無し。
「聖変化がなければミサじゃない!」というわけですね。
合ってますか?この解釈(笑)
拝領が終わると祭儀も終了。
司祭団退堂の時の閉祭の歌も無しですが、私の頭の中では拝領の時に歌ってた『いばらのかむり』がぐるぐるしてました。
これ、歌詞は痛々しいんですけど曲は好きです。バッハですもの。
それにしても、こんなに重い空気だとは思いませんでした聖金曜日。
気分はもう「ゴルゴタなう」ですね。
雨も降ってたし、微妙に凹んだまま家に帰りました。
来年は、ちゃんとおやつ食べてから行くことにします。
別におなか空いて目が回ったわけじゃないんだろうけど…(笑)