教育デザイン室長の竹内です。
年が明けても、先行き不透明感が漂います。今、危ぶまれるのは、平昌(ぴょんちゃん)冬季オリンピックの開催です。北朝鮮も米国も国連も、彼らの公式発言が何処まで妥当性があるのかすら見えません。
自分の事情で歴史の節目を知らない内に過ごしていた時期があります。ソウルオリンピックは亡妻の看病をしているうちに終っていました。その余波はしばらく続き、ベルリンの壁が崩壊したことも、私は知りませんでした。そんな状態で、我ながらよく仕事を続けてきたと思います。恐らく1%しか自分に割いていなかったと思う。仮にその残された1%も捧げていたら、今の私はなかったと思う。同時に、私はその1%から復活してきた・・とも言えます。
日本人の多くが彼の国を快く思わない気持ちはわかります。でも、私は英国の大学で同じクラスに北朝鮮も、韓国も、中国も、台湾も各々の国の出身者が一緒になって英語のレッスンを受けた経験がありますので、そこに住んでいるはずの人たち(無論、苦労を強いられているのでしょうが・・)の存在(具体的には、風貌)が脳裏に浮かびます。今は、もう戦争をしている時代ではないのにと思う。
人は歴史の中を歩んできました。私の記憶にあるのは、高校時代の札幌の冬季オリンピックです。あの当時の日本は、今ほど豊かではありませんでしたが、まだ世の中が健全に回っていたように思えます。今よりも信頼できる政治家とそれを支える政府があったように思います。
同じ国の中で、その同じ国民の、ただ世代が移り変わっただけで、どうしちゃったんでしょうかね。私は残念だし、恥ずかしく思います。今の若い高校生諸君には、私が高校生の頃だった札幌五輪の栄光をお伝えしたく思います。
テーマ曲は、『虹と雪のバラード』(河邨文一郎作詞、村井邦彦作曲)、歌唱はトワ・エ・モアでした。その年代を生きた誰もが共有している調べだと思います。ダイナミックは歌詞を生み出した河邨(かわむら)氏は、札幌医科大学教授でしたが、同時に詩人でもありました。後に医師から作家になった渡辺淳一氏は、医科大学時代の教え子だそうです。
高校の進路指導では文系と理系と、とかく二分されがちですが案外、どこか深い所で繋がっている部分があるのかも知れません(竹内 準一)。
