教育デザイン室長の竹内です。
私は受験偏差値が導入されていく世の中で、そちらへ目を向けませんでした。研究者を志していましたので、あるレベルの大学・大学院へ行かなければならない道でしたから、それは賭けでした。才能本位で食って行ける道にしようかギリギリ迷いましたが、才能に賭ける覚悟も十分ではありませんでした。同じ賭けるのなら転んでも何とか食っていける道を選んだのが、正直な気持ちです。
ところが今なら、紆余曲折を経て、どのような生き方をしたら芽が出るのか掴めてきました。ですからその秘伝も含めて後進の指導をしたいと考えて今のポジションにいます。科学研究を指導していますが、選ばなかったもう一つの道であるアートなど不確定性を伴う分野を目指す中高生の応援もして差し上げたいと思っています。
そのためサイエンスコースの枠を越えた話題を、このブログではカバーしていくことになります。今日のメインテーマは「宮崎アニメ」ですが、その前に「意識高い系」の話題を取りあげましょう。高校生の年代に目につくからです。高校生諸君の少し先を歩く若き世代を代表する落合陽一氏が、12月24日付けの記事、
の中で見事に書き分けていました。私の学生時代(1970-80年代)にも、目につきました。いわゆるサロン的な「雰囲気」を味わうことに満足して終ってしまうタイプです。「◯◯になった・・つもり」で済ませてしまうので、ホントの実力は備わりません。「◯◯モドキ」なのです。若い人は、この土壺に嵌まることに注意して欲しいと思います。これを避けるには、逃げず隠れず、「他流試合」をしてみることをおススメします。誤魔化した生き方は当分の間、誤魔化せても、段々と苦しくなっていく一方なはずです。その落とし穴は避けるのが肝要です。
落合氏が指摘するように、人脈はネットの力に敵いません。中3生と私が昨年末、仕事納めの日に迷い込んだ寄生虫の魔界・・。しかし、ネットの力で(無論、そこに介在する面識もない専門家の方々のご支援のリレーにより)たちまち私たちの遭遇した寄生虫が日本住血吸虫にソックリでしたが結局、無害な種類であると当該学会のメーリングリストを通じて、2時間後には安全宣言が戴けました。
無論、コンタクトする相手を見つけ出す要領、鑑定して戴くための顕微鏡の画像(静止画、動画)を撮影する技術など、基本的な技能や知識は必要となります。逆に言えば、より汎用性のあるジェネリックスキルが今の時代に求められ、それが本来の高校課程の目標であるべき・・と言うのが私の主張です(昨日のブログ記事の中では、高校生が学ぶべきスキルを医療の「GP」に喩えました)。
私自身、都庁職員(技術系)やJICA専門家(水質科学)職として現場の最前線に立ちました。そこに申し分な学歴を持ち学業成績の面では有能な筈の職員がいたのですが、決められたルーチンワークは円滑に進められても、正解のない問題に遭遇した場合、どう対処したら良いのかに脆弱さを感じました。そのようなトレーニングを受ける場が、高校や大学で不十分だったように思います。
そのトレーニングの場が大学の最終学年で課される卒論(卒研)なのですが、それすら就活で思うように機能していない現状があった筈です。では、それまでの時間を、高校生や大学生は何をして過ごしているのか? 授業と試験に、時間を労してきたワケです。
答えは簡単です。生徒ごと心から関心が持てる課題を先に持ってきて、そこで学びのコツを会得してしまうこと。これは、場合によっては小学生とか中学生でも可能です(現に私は中学からですが、5歳からの粘菌少年、今、私の下へ来たのは3歳からの魚クンです)。従来の学校は、その国に生まれ出た才能の芽をみすみす潰して、台なしにするような愚行を重ねてきたことになります。私は心底、お腹を痛めて産んでくれた、これまでの世の母親の全てに向かって謝罪したい思いです。ごめんなさい。ホントに酷い野蛮な時代だったですね。
もう心配ありません・・とは、言い切れません。が、一つの見本を見せる「突破口」を開きました。それはアリが掘った穴に過ぎないほどチッポケなサイズでしかありませんが、あるかなしかでは大違いだと思っています。
もう一つの課題は、私は掘った穴は、サイエンスという一部門にしか過ぎないことです。が、原理は全ての分野に当てはまる筈です。広まることを期待したいと願います(竹内 準一)。
付記:
TV(受像機)を持っていない(マンションに受信設備があるためNHK受信料は天引きされてますが)私が、この正月に楽しんだ動画をご紹介します。1時間半モノです:
久石譲 in パリ 宮崎駿監督作品演奏会 (2017年)
宮崎アニメは、まさに現代に、浮世絵が海外へ進出した当時を彷彿とさせるモノがあります。私は以前、期待して久石譲さんのオリジナル曲が納められたCDを購入したことがありますが、あの宮崎アニメに捧げられた魅力は感じ取ることができませんでした。あの久石さんの才能を引き出したのも宮崎アニメの持てる底力だと言うのでしょうか?
・・だとしたら学校教育のカタチも、今のような一人ひとりに同じ試験を課して競わせるような評価方法を改善していく必要性があります。人の才能や能力は、もっと高めていくことができるはずです。教育とは本来、そこを担うべきです。今まで、何をしてきたのでしょうか? でも、今からでも遅くありません。思い立ったが吉日です。子どもは大人以上に早く成長して行きますから、いま直ぐに。
