❏ なぜ高校なのに「研究」するのか?

言い換えると、なぜ高校では「研究」してはならないのか?の問いにも置き換えることができる。よく聞く理由は、「高校生は受験勉強していれば良い」だった。だが、注意深く観察していくと、知らない間に、その定番の声を聞かなくなった。それどころか、あっちこっちの学会で高校生のセッションがある。時に、中学生の部すら設けられている。あたかも水面下で何者かが工作しているようにすら感じる。そのような動きが大々的に語られることはない。まるでモノを壊した場面で、コッソリと修復しようとしているかのように「私は感じるのだ!」

 

私には、嬉しい変化だし、心から望んでいた方向性だから私の目に明らかにハッキリ映る。が、なぜコソコソと人々が気づかないうちに、置き換えようとするのだ? この卑怯ものが! マトモな大人だったら間違いを認め、こうこう修正しますと明言するべきだ。クルマの部品が欠陥だった場合のリコールだって、コソコソと修正したら社会的な制裁を受けるだろうが!!ホントにずる賢い人間たちが、この国では魑魅魍魎のようにゴソゴソ這い回っているんだな。私も公務員畑だったから彼らの口癖が解かる。軌道修正は「先輩たちの顔に泥を塗る。」って言い訳を・・だ。だが、ホントに、そんな話があるのだろうか? 私だったら修正=改良されたら嬉しい。ダメなモノをダメなモノのまま放置されるのも、コッソリ修正されるのもゴメンだぜ!!ハラキリで知られた日本人の根性はいつ、これほど惨めなまで腐り切ってしまったのだろう?

 

❏ 「研究高校」の誕生を宣言する

私は新年度が始まった今日、スーパーサイエンスコースの「研究高校」モデル化を宣言する。何しろ5歳の時から粘菌に興味を持って研究し続けている中学生と偶然、出会った。だから私には真実を伝える責務がある。私がこう述べると大半の日本人はアレルギー反応を示す。だから最初に断っておくが、全員に「5歳から研究をしろ!」と一律に命じた覚えはない。が、日本人は”メンタリティーの未熟さ”から、私がそう強要しているように”勝手に聞こえる”そうらしい。

 

この際だからハッキリ明言しておこう。そう聞こえた者は、そういうマインド・セットの持ち主なのである。いつ誰に魂を売り渡したのか知らないが、そう”勝手に聞こえる”ことの異常さを、自覚して欲しいものだ。私は、私の言葉や気持ちが相手に正確に伝わらないこのカラクリが今まで理解できなかった。それは、発言者である私の側の問題ではなく、受取側の問題だったのだ。既に、どこかで心がひん曲がってしまっていたのだ。大方、何処かで自分の本心を魔族へ売り渡してしまったのだと思う。だが、それを選んだのは、あなた自身の責任です。私は、負けませんでした。譲りませんでした。それでも、今日まで生きて来れました(竹内)。

  ↑旧制府立高校(都立大学門柱

 

付記:

今日、ルネサンス大阪高校の公式ホームページの私が書くブログ欄ではない公式性の高い場所にスーパーサイエンスコースの生徒たちの活躍ぶりが初めて掲載された。2014年に開校、苦節丸3年の努力の後、数々の通学コースが開設された後、唯一、原型を留めたままで今に至る唯一のコースである。当該コースをデザインした者として当然、成功し、会社に貢献すべく尽力してきたにも拘らず、良い声を聞かなかったし、外部の人からも私が何も語らずとも同情されて驚いたこと、しばしばであった。私の書くブログ記事も固定客がいることを把握しているが、組織として喜ばれているのか怪しい。別にこの会社に限ったことではなく、以前の勤務校であった国立高専でも、私の記事に対するクレームは事務方に届いていたらしい。私自身には一言も言って来た者はいない。日本人を「赤信号、皆で渡れた怖くない!」と揶揄したのはビートだけしの駆け出し時代だったと伝わるが、やはり天才だったのだと改めて思う。

 

だが、私はもっとストレート・フォワードな物言いをしたい。それは、こうだ。他人の成長や成果を喜べない人間は教育に向かない。教育関係の仕事から撤退して欲しい! 私の天敵。そういう人たちは、自分に満足していないのだから、肝心の生徒を成長させるなんて無理です!

 

以下の今日の広報が掲載した記事は、その意味で各自にとっての「踏み絵」だと思います。私が53歳と遅く、教壇に立ったのも、自分が成長したいと強く望んだから控えたのです。若い人や同僚に嫉妬したら最悪です。だから先ず、自分でトコトンやって満足してから転身した。

 

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2017.04.03.Mon

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