❏ 国立高専教授を辞したワケ

私は現在、61歳(1955年生まれ、ビル・ゲイツと同年齢)だから高専教授の定年まで5年間の消化試合を捨て、2014年に開校したルネサンス大阪高校へ副校長を拝命し着任した。立ち上げ時の初期トラブルに見舞われ、ラインから外れ、「教育デザイン室長」という職名を名乗り、スタッフ的立場に退いた。仮に国立高専に残っていたら学科長(分野代表)や教育主任、下手をしたら今も教務主事や寮務主事で忙殺されていただろうと思う。期待して雇用された国際交流室長の職務も軌道に載せ、後継を希望する教員が輩出した。無責任に職務を放り出したのではなくて幸いであった。

 

捨ててきたモノは、給与、地位、名誉(教授職を10年間以上、務めたことになったので)であるが、代わりに得たモノは、ゼロから設計できるという圧倒的な自由度である。なくしたモノは生活カツカツの低い給与水準(体感的に半減)、乏しい実験設備(以前も不十分であったが、自費で補填できた)、そして文献類である(これは府大図書館の無償利用やResearchGateで別刷PDFを物々交換することで補填可)。通常なら、「国立高専」から「通信制高校」に下流に下っただけで十分、惨めな思いを味わうもの・・と予測されたが、幸いとこれは杞憂に終わった。なぜなら自由度が増した分、実質的に実になる活動に時間と精力が割けるようになったことに加え、社会が教育の多様化(硬直化の打破)を無言に求めるようになったため、一度足りとも「通信制高校」と名乗ってみて、悲哀を感じたことはない。これは嬉しい誤算であった。

 

  ↑次期学習指導要領の改訂の双璧のもう一つ

  (アクティブ・ラーニングの方が話題で先行した)

 

❏ ゼロから業務を組み立てる

次期改訂の要の一つ、カリキュラムマネジメントが円滑に進むのなら、私が国立高専の教授の職を辞する必要はなかった。果たして、こちらの方がアクティブ・ラーニングに較べると遥かに難航していることが知れる。日本人は、仕事を増やす(責任が問われない)ことは得意が、仕事を減らす(責任が問われる)実績は皆無に等しいと、私は実感している。それゆえ私自身、唯一の解決法は新制度による新設校に移ることしかないだろうと、覚悟したワケである。その目論見は、今となっては正しかったように思える。とにかく何らかの超法規的手段で足枷を外して貰い、そこで速やかに実証していくしか手はない。鉄は熱いうちに打てとばかりに、速攻でスタートダッシュを決める計画あったが、組織運営上の見解の相違からその改善効果の兆しが見え出したのは、3年後という、ごくごく最近になってからの成果ある。

 

私の使命は、雁字搦めで身動きが取れない状態でいる他校の「水先案内役」を務めることである。それを今、私は自己の忠実な役目をして担っているつもりでいる。もとより教授や学科長、国際交流室長を務めた私に最早、名誉は要らない。留学も移民も果たしたきた自分に足りないのは「背丈」ぐらいであろう。それも最早、どうでもいいことだ。あと、日本の学校教育が正常化することを見届けることができれば満足だ。その間、不本意な生き方を強いられてきたであろう伸びるべき生徒の才能が開花する手伝いができれば本望である。その長年の夢が、知名度がゼロに等しい学校をスタートさせ、ようやく実現へ向けて進んでいる現状こそ、日本社会の持つ不合理性を物語ると言っても過言でないであろう(竹内)。

 

付記:呉高専時代、地元の名士の集まりであるロータリークラブの経営者の方々のご支援を受け、国際交流を推進させることができた。大阪では市民ボランティアグループ(イタセンネット)や近年、勃興してきた新興の教育産業(リバネス、おもれい等々)との連携が華を添えてくれている。コーチング・チームが教育界へ参入しようとしてきてくれていることも福音である。どうかこれからも力を貸して欲しいと願う。文科省も期待しているように、日本の学校は地域に開かれて、「風通しの良い」状態に晒されなければならない。もう暗黒時代の「閉鎖空間」の学校教育は即刻、根絶されなければならないと、切にそう想う。