❏ ホンモノの下水じゃない!

1998-99年、私は国際協力機構(当時、同国際協力事業団、英名はいずれもJICA;ジャイカと発音)から都庁在職のまま2年間の予定で技術専門家として派遣された。JICAは外務省の外郭団体である。外務省は言わずとしれた外務公務員(国家公務員として採用枠が異なる)は専門業務がこなせないため国交省など各省庁(必要に応じ、市町村や民間企業)へ技術系人材を推薦して貰い、契約書を交わして現地での業務に従事する。長期派遣の場合、外務公務員に準じて公用パスポート(緑色)で家族同伴で渡航するのが原則となる。

 

   ↑バンコクの路上の屋台と"下水"に出現した微生物

  (左:黒いカビ、右:ゾウリムシ;黒い濁り水が日射を遮断する仕組み)

 

私の場合、前年(1997年)に2ヶ月ほど単身で短期派遣された。実験機材が必要とする私の任務では予備調査となった。その時、気づいたのは下水と思って汲んだはずのサンプルが、ラーメンのスープだったからである。バンコクでは、路上の屋台から側溝に流す汁が下水の発生源だったからである。では、トイレはどうかと言うと、一般家庭では土壌浸透型のマスを持ち、ビルでは個別に浄化槽が除害施設として設置されていた。つまり、バンコクをはじめとするタイ及び東南アジアでは皆、糞尿(night soil;し尿を意味する英語)が混入した"下水らしい下水"は存在しなかったのである。

 

❏ グレイウォータの驚異

糞尿の混じらない生活雑排水を"グレイウォータ"と呼ぶ。これが、タイをはじめとする東南アジアの水環境の特徴を為す。英国リーズ大学は熱帯下水道の研究拠点であったが、南米とアフリカが中心であったため、欧米の熱帯下水道の権威者らも知らぬ事実であった。私の前に数十人の専門家や専門チームの派遣があったのだが、微生物学を専門とする者が過去に関与しなかったため素通りしてしまったようだ。

 

熱帯のタイの平均気温は年間30℃あり、中でもバンコクは平坦な土地なので下水管に勾配がない。そのため下水は流れずに滞留してしまう。野菜スープのような新鮮なニセ下水など、立ちどころに微生物によって分解されてしまう。微生物相の変遷から判断すると、5日間ほどの履歴を経て緩い押し出し流れ(排水量次第で逆向流もあり)で下水処理場へ到達しているようだ。結局、下水処理場へ到達する手前で、未処理で放流できる基準値を満たしてしまう。下水処理をする意味はない。これが、現実を前にした時の科学の成果である。しかし、机上でテキストを見て計画立案すると、数兆円のプロジェクトが無為に帰するのである。私たちは、この重要な論点に対して複数の論文を著し、世に真摯に問うている(竹内)。

 

月刊・水(和文誌;廃刊)

生態工学(英文誌)

水環境管理(英文誌)

上記の英語論文2編はPDFを共著者である私から提供できますので、竹内までご連絡下さい(請求先のメールアドレス:jtakeuchi(a)r-ac.jp ※(a)を@に変更)。

 

追記:ベトナムを支援してきたスウェーデンの援助機関(Sida)から派遣された建築家のUno Winblad氏は、私と同じ論点に気づいた。"Don't mix"が彼の提言である。彼の証言によると、建築家である彼のトイレの設計に対して世界銀行の顧問から執拗な圧迫があったと言う。内容からWinblad氏に圧力を掛けていたのは、あろうことか英国リーズ大学の熱帯下水道の権威(以前、硫酸還元菌が専門)であるDuncan Mara教授、その人であることが割れたのだ。しばしば、工学分野では利権が科学の上位へと割り込む。