❏ 職業生活の基礎を固める
日本の学校教育は、人間の最大の成長期に愚かにも人生を「浪費」させるようなコトを強制してきた。「受験勉強」が人生の2つの柱、職業人生と家庭人生のいずれにも役に立たないことなど明らかであろう。そもそも高校も塾や予備校も同じような内容をダブルヘッダーのように昼間も夜間も繰り返し、明らかに時間と経費の二重投資であることは疑う余地がない。日本の"着膨れ"経済の正体なのだ。その無駄を削ぎ落としてしまえば、人の汚物(弱み)に付け込むガリガリ亡者(餓鬼)らしい本性が露見してくる。
↑人糞を喰らう餓鬼の図会(餓鬼草紙)
高校で進路希望のアンケートなど実施しても、一様に判で押したように「分かりません」とか「決めていません」という回答しか反って来ない(無論、僅少の例外はある)。当然であろう。それが決められるような準備を、どこも提供していないのだから。本来なら、学校教育は生徒が将来設計できるように支援しなければならない。とりわけ、高校は将来を決めていくための最適な場であり、時期であろう。が、その機能は全く果たしてない。完全に機能不全に陥る。何のために勉強をするのか、その説明をしている学校や教員はいるのだろうか? 大半が、どの大学に何人、入れたか・・だろう。オマケに、卒業生の追跡調査も皆無に等しいはずだ。生徒が伸びようが脱落しようが、卒業生の進路実績を埋めることが肝心要なのだろう。大人としては、極めて恥ずかしい行状だし、子供には悲惨としか言いようがない。これでイイの?
酷いのは高校の進路指導だけでなく、大学も負けず劣らずに酷い。概ね大企業に就職させることが成果となる。大学の看板となるからだ(その実態は、高専で目の当たりにした)。しかし、そんな酷い悪徳行為を長年、重ねてきたら、企業の屋台骨が傾くのも当然の報いだろう。
❏ 家庭生活の基礎と固める
高校生ともなれば、異性に興味を持ち、将来の家庭生活を築く基礎を経験しておいて当然、良い時期だろう。日本以外の国(例えば、英国)では、学校主催のダンス・パーティなどがあり、パートナーを見つけてくる課題がある。明らかに将来の家庭生活の基礎づくりを意識しているのは火を見るよりも明らかであろう。日本の学校は、これを「見て見ぬ振り」をしてきた。
人間というモノは、欺瞞が一つでもあれば、全てに及ぶ。この「見て見ぬ振り」をして平気な生き方が、日本人の性格を決定づけてきた。なぜなら「見て見ぬ振り」ができるメカニズムとは、感度を落とす心理操作が必要となるからである。一度でも、その悪しき工作を施したが最後、その影響は全てに及ぶと判断して間違いではない。だから「人でなし」を作る作業と言える。
その結果、日本に固有の体質が定着した。極度のセックスレスと、ポルノ(AV)産業である。だが、家庭不和、特に夫婦関係の不和は、子供を苦しめては脳にストレスを与え、次なる発達障害の原因を招いていると言えまいか? 日本の学校の受験勉強も、日本の職場の超過勤務も、厄介な問題から逃避する口実に使われてきたように私自身は読み解いている(竹内)。
