❏ 学校は昔、水と空気はタダ同然の感覚

日本人には、どこか「水と空気」はタダ・・という意識がある。恵まれた自然環境で生まれ、暮らしたからである(最近、フクイチの原発事故によって鉄壁な日本の安全も怪しくなってはきたが)。学校教育に関しても、日本人は似た意識を引き摺っているのではあるまいか? 義務教育課程の小中学校でも、給食代だけでなく毎月、市販教材の購入費が掛かるはずだ。ましてや、高校と大学(仮に専門学校を選ぶにせよ)の学費は昔のようにタダ同然(都立高校が月額800円、都立大学が月額1,000円)では問屋が卸さない。私の時代なら、学費(授業料)より食費や交通費の方が負担に感じたものだ。もうすっかり、今は昔の話になってしまった。

 

しかも、学校教育の質が向上したとは、失礼ながら思えない。昔の高校教諭の中には、学者然とした先生が何処の学校にもいた。否、中学校でも生徒自らの意思で一目置きたくなるような人物がいたものだった。高校教諭に週1日の(勉強のための)研究日があり、高校の紀要に寄稿しているケースもあった(あいにくと個人的には良い思い出もないのだが、私の母校の)。昔の東大や国研(国立研究所)には、驚くほど多数の共産党員がいた。研究室でほぼ全員に配布していた新聞が『赤旗』だったから、もう「インテリ=共産党員」という時代だった。大学生らも、民青(民主青年同盟)で、丸でノンポリ(政治意識ナシ)だった私には"知らない世界"であった。

 

❏ 詐欺紛いに高額商品を売るのは卑怯

前の国立高専の学生も、大学に準じた高等教育を格安に濃密に甘受できると期待して入学してきた層が年々、増えてきた。学生の両親が離婚しているようなケースも少なくなかった。今の通信制高校でも、様々な理由で全日制高校から"流れてくる"ケースが圧倒的である。が、以前と比べて大きな差異は、必ずしも学力や才能の面で必ずしも劣っていると思えない生徒が混じってきている点である。学習障害や学力不振と診断された生徒が、鵜呑みにできないケースが多い。彼らを診断し、担当してきた教育関係者の弁別力を疑わざるを得ない。

 

無論、扱いにくい生徒が含まれることは確かである。が、大方、固定観念のような学力観に縛られ、生徒から話を聞き出していない痕跡が多々ある。扱いが難しい反面、磨いたらどれだけ輝くのか知れない可能性を秘めている。それは喩えるならイタリア車が壊れやすいが、大変なパフォーマンスを秘めていることにも似る。多くの生徒らが、前の学校で挫折してきた履歴を気にしている。だから彼らは他校へと転校しようとは思わない。だから受け入れ校にとっても試金石であり、手抜いても、もう辞めようとはしない上客なのだ。弱みに付け込んでは学校の存在価値も薄れ、社会的信頼も築いて行けないだろう(竹内)。

 

    ↑「奇跡と呼ばれた学校堀川高校の文化祭でダンス演技 

 

付記: 私は一度、堀川高校(京都市)の校門から屈託なく笑いながら飛び出てくる生徒たちを見つけ、昔の高校生像を見る想いがした。「あゝ、学校に満足して幸せなんだろうなぁ~」とそう実感できた。一度、堀川高校の現職教員に告げたところ、「え、そうですか。単に授業が終って気持ちが楽になっていただけでしょう。」と返された。そこで隣にいた堀川高校の卒業生で別の市立高校へ務める先生に振ってみたところ、「確かに堀川の生徒たちは、自分たちの親の世代に似ている感覚を持っていると思う。」と認めて下さった。私が感じた生徒像は、どうやら私の勘違いではなかったようなのだ。だから、断じて言おう。良い学校は作り出せるのだ。

 

資料: 『これからも大きく変わる京都の学校

元京都市議会議員の山本正志氏が2007年頃、書き起こした文書で、末尾に堀川高校の生徒から集めた貴重なナマの声(アンケート回答)が収録されている。