❏ 昨日の中教審中間報告

昨日、新聞各紙の一面トップに教育改革の記事が一斉に掲載された。曰く「討論型授業」だとか小5から「英語教科化」だとか、賑わしていた。が、社会と、そして何より学校現場に対するアナウンスしておくという意味合いが強かったような気がする。結局、現場の教員が最大の抵抗勢力になり得るからだ。

 

   ↑ 讀賣新聞の一面記事「次期指導要領 中間報告」から

 

明らかに高校課程で不足していたのは、好奇心を刺激する「探究」と自分から表現していく「表現」に対する訓練だ。だから大学で折角、プレゼンテーションをベースにした授業を組み、学生同士でディスカッションして評価するカリキュラムを組んだみたところで、どうも回らないのが実態らしい(今春の卒業生からのヒアリングによる)。これは、その大学に責任があるのではなく、それまでの「黙って授業を聴いてろ!」的な受け身型教育でガッツリと仕込まれた成果の面目躍如たる動かぬ証拠なのだ。散々、それを良しとしてきたのだから・・。

 

❏ 新設される科目(仮称)から動向を読む

国語で「言語文化」とか「論理」、「表現」、地歴で「探究」、公民で「公共」、外国語で「論理」や「表現」、「総合的な学習」は「総合的な探究」に変わり、押しなべて「探究」とか「表現」という能動的な活動が要求されていることがわかる。言語学習(国語、外国語問わず)にも「論理」に加え、「文化」が加味された面が新しい。「公共」という概念が入ってきたのも妥当だろう。

 

理系で注目すべきは、新たに理科と数学とを統合化した「理数」枠が設けられ、新たに「理数探究基礎」と「理数探究」の2段構えに設定されたことだ。特に探究に割く時間数は、体育の実技に次いで多い。何らかの実技的な活動(アクティビティ)が伴う必要があることが分かる。中教審のメンバーには堀川の奇跡で名高い荒瀬克己・大谷大学教授がいて、荒瀬氏の授業に直に触れている卒業生からヒヤリングでき、かつ今週末は同氏が講演する京都での会合へ参加することになっている。明らかに「探究基礎」+「(自然または人間)探究」の組み合わせは、京都市立堀川高校で実績をあげた探究科のカリキュラムを密やかに反映したカタチとなっている。しかも、荒瀬氏は国語科の教員。実に大した御仁である(竹内)。

 

追伸:私が国立高専に勤務していた当時、高専3年生(高校3年生相当)を対象に「創造演習」という、ミニ卒研のような演習科目があった。テーマも生徒一人ひとりが決めて、何らかの実技(室内実験、野外調査、文献調査など)を伴う点で、大変な労力を伴いヘトヘトになるが、実は私が最も好きだった「そんな科目があったことが奇跡に思える」楽しい授業だった。私は好んで5年間、率先して担当した授業だったが、恐らく高校で求められる探究系の科目も同様な水準だろう。実際、誰にでも可能で、誰もが経験すべき「探究活動」だ。しかし、そのためには、過去の「That's 学校教育」だとする既成概念を取り壊さなければないであろう。それは可能であって、かつ日本の将来のために必須なのだが、果たして・・