ホンダイズムに学ぼう本田技研工業

今の高校生を見ていると、いや大人世代も同様かも知れないが、自分からアクションを起こさないのが残念でしかたない。「犬も歩けば、棒に当たる」・・大阪に至っては「人が歩けば、自動車どころか、自転車に当たる」・・心配がなくはない。だからお薦めしにくい。しかし、このまま時間が過ぎ去るのを見送っていて、いいのだろうか?だから私は率先して、自分から行動を起こす。

 

日本の夏休みの宿題。あれは、命令しなければ子どもは何もしない・・という前提に立っている。だからてんこ盛りの宿題を出す。だから宿題を終えるだけで手一杯となり、他になにもやらなくなる。結局、実質的に何もやらないことに変わりない。出した宿題は、いわば「ダミー」なのだ。私なら、放置する。何もやることがない状態へと追い込んで、自分から動くことを待ってみたい。だが、それを待つ堪え性のある人間は皆無に近い。そして、今の日本社会が出来上がった。

 

戦争や大災害は、人間社会をリセットする効果がある。河川の生態系が洪水でリセットが掛かるのと同じメカニズムである。その効果を否定はしない。しかし、もう人間は自らの手と意思とで自ら運命を決めるステージへと一段、進化して然るべきではないだろうか? 21世紀なんだし。戦後、日本に誕生した2つの独創的な企業、ホンダとソニー。その立役者だった2人の不世出の創業者、本田宗一郎氏と井深大氏から、我々は何かを学ぼうではないか?

 

 ↑『ホンダとソニー、夢と創造の原点』

 

"モルモット"と揶揄されたソニーソニー株式会社

こう言っては失礼だが、ホンダとソニーが独創性を発揮できた秘訣は、十分な情報も物資もなかったからではないかと、私は密かに睨んでいる。いや、当たっているかも知れない。が、情報も物資も豊富な現代にリソースを故意に利用しない方が良いと提案する意向はない。だが、見方は変えるべきであろう。私が、特に現代の高校生を見るにつけ感じるのは、彼らが情報も物資も豊富で、それらを活かしているように見えて、逆に豊富なリソースの奴隷に成り下がっている姿である。その後押しをしてきたのが、私は学校教育、それもペーパー試験で成績が決まる「机上」の評価システムだと睨んでいる。

 

なぜか? それは戦後の産業復興と日本人に自信と賞賛を与えてきたホンダとソニーの創業者らが伴に、仲がよく"現場主義者"だったことにヒントがある。彼らは、間違いなく実質を重んじ、自ら行動し、経験したことを信じてきた。これは、西欧で科学が発達してきた歴史とも符合している。だから私は、ペーパー試験による暗記に基づく成績評価(=偏差値)が跋扈してきた時代をキリスト教の教義で判断してきた中世の"暗黒時代"に、なぞらえれいるのだ。

 

皮肉なことに戦後の復興と日本の評価を高めたのがホンダとソニーが牽引してきたものづくりの精神であり、その独創性の拠り所が「行動」と「経験」にあった。それを台なしにしてきたのが、答えを覚えて正解とする"カンニング紛い(Teaching is cheating.)"の学校の成績評価。このイカサマ教育がっ! 私は2人の先達に誓い、徹底抗戦をしていく。断じて、「行動」と「経験」に基づく学びに回帰し、中世の暗黒時代のような日本の学校教育の歪んだ教義に立ち向かう。その決意の下、私は今朝、淀川辺りに出て、泥を採ってきた。微生物代謝を用いた電池をつくるためだ。私と一緒に新しい研究を始めるべく、遠く山陰地方から大阪へ越してくるという高校生を受け入れるためである(竹内)。

 

追記:私が勤務していた国立高専の元同僚によると、彼が考案したシステムで「お湯が沸く」ほどのパフォーマンスを発揮しているらしい。高校課程を担う私が考えているのは、イオウや鉄など元素循環を担う微生物群集をベースに、光エネルギーや化学エネルギー(硝酸塩の添加が候補)で補助して駆動させるシステムである。私自身にとって物質循環や環境浄化の観点から過去に慣れ親しんだ微生物群であるが、物質代謝に共役して生じるエネルギーを取り出すという視点から取り組むことにした。ワクワクする。

 

謝辞: 本稿でリンクを貼らせて戴いた本田技研工業株式会社の社史については利用規定に基づきリンク連絡フォームで通知を行います。ソニー株式会社が提供する社史(創立50週年記念誌『源流』1996年公開)に関しては、同社サイト内に規定が明記されていませんでした。

 

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