❏ 53歳まで教壇に立たなかったことの利点
私のキャリアは都庁職員(技術職)としてスタートした。都庁15年間勤務の最後の2年間はタイ政府へJICA専門家として派遣された。都庁でもJICAでも私の担当は水質分析であり、微生物学的な試験も担当してきた。ルーチン調査の他、現場にはワン・フロアー丸ごとの実験室があったので、自主的な研究も遂行してきた。新鮮な微生物などサンプルが常時、入手できる点では大学研究室を遥かに凌駕していた。学会で発表し、論文も執筆してきた。修士論文は英語で書いて提出していたので、自分の研究分野に限定したら英語で困ることはなかった(逆に、子供向けの絵本などを読むのは、全くお手上げだった;今では絵本の翻訳コンテストで高校生に助言をしていたら読めるようになっていた)。要は、私の感覚は常に「自分が自分を教育してきた」という感覚であった、だから人どころでなかったのが正直な気持ちだ。
都庁生活も長くなると、新人の技術研修を任されるようになった。それが、教員めいた業務の事始めであった。その研修を通じ、実験マニュアルや論文執筆マニュアルなども制作し、研究室のゼミの真似事を始めていた。その延長線上でタイの公務員に対し、研究指導をするプロジェクトに参画するようになったのも自然な流れであったと思う。併せて現地の大学とご縁ができ、共同研究する関係に発展した。日本で学んだ微生物学の技術や知識が分子微生物学の時代に通用せず、賞味期限が切れたので、どこかでアップデートする必要性を痛感した。当時は日本に再教育の場がなく、英国の大学院へ留学したのだ。
↑バンコク市街で雨天時の下水管渠の水質調査中
❏ 人を教える立場から、「学びプロセス」を見つめた
ある中国人の先生から「竹内先生は認知心理学を学んでいないのに理解し、使っている。」と指摘されたことがあった。なるほど、言われてみれば心当たりがあった。しかし、自分でいつそんな能力を身に付けたのか皆目、解らなかった。しかし、探ってみると、自分が人を教える立場に立って、それまで自分が自分に施してきた教育を振り返り、客観的に見直してみることをしていたことを自覚した。例えば、ある論文を使うか・使わないかを選択している時、自分はその論文の是非を明確に識別しているのであり、意識せずに「読んでいる」のだと自覚した。
高専の教壇でも、学生が最初から「難しい」とか「解らない」とか決め付けて、シャットアウトしている心の動きを察知できた。彼らが英単語の意味が分かれば英文は読めるものだと主張するので、実証して納得して貰うため、試験問題の用紙の中で全ての英単語の語彙(訳)のリストを一括して出題したこともあった。果たして彼らは英単語の意味を知っても英文が読めないことを確認した。要は「読んで理解しよう」でなく「どうせ解りっこない」と決め付けていたのが実態だった。そうこうしているうち授業も試験も教員側の都合で用意された形式であり、教育効果はゼロだと私は察知できた。私は、授業も試験も行わず生徒たちを育てたいと考えて、教育を実践している。両者とも、教員の都合で生まれた産物だからだ(竹内)。
付記:私の授業や試験の教育効果を疑問視する姿勢を、「否定」と捉える向きがあるようだ。ほう? ならば、授業や試験で生徒をイキイキとさせてきたという実績を私に見せて欲しい。私は私のやり方で、生徒をイキイキさせてきた実績がある。しかし、私が往生するのは、生徒たちが「授業や試験が学習に必要不可欠な要素だ!」と久しく洗脳されて硬直化した脳だ。
嘘だ! むしろ教育に必要なのは文章を論理的に書く力であり、自分の意見を述べる力だ。それらを養わないで、「聞くだけの授業」と「やるだけの試験」で誤魔化してきたのが日本の学校だ。日本語を正しく使って欲しい。私は否定しているのではなく、事実を指摘しているのだ。
「否定している」とする意見のウラに「肯定すべき対象を(私が)否定している」と匂わせる巧妙な詭弁(欺瞞)が隠れている。それが故意な策略でない場合、気の毒であるが随分と長く「自分で自分を誤魔化す生き方」をしてきてしまった現実の姿を自覚して欲しいものである。
