❏ こどもの国

「こども」という表現は、「友」と「友だち」の関係に「子」を「子ども」と曖昧に複数化しているように解釈できる。対する「大人」には、十把一からげに扱う「大人ども」という表現は使われないが、私はここで敢えて「大人ども」という日本語を造語してみたい。冷静に考えてみるがよい。何処の世界に電車が宙を舞い、原子炉が爆発するような「国家」があるのか? それによって苦しんでいる国民が厳然と存在している。

 

学校教育に重大なミスがあったことは火をみるより明らかだろう。曖昧さが許される言語文化を隠れ蓑に、プロポーズもできない国民性だから、ハッキリと謝罪することもない。生きているのか死んでいるのか定かではない。何を考えているのか判らない(実際、顔が見えない日本人に対する外国人の肉声だ)、不気味な「死人の国」。そこは多少、聞こえ良く「こどもの国」とでも、言っておこう。が、日本人が災害や戦争(空襲、原爆)で大量死していく宿業と、この曖昧な精神構造と深い関係があると、私は洞察している。いま直ぐ、「生き方」を変えていくべきであろう。これは、これまでの日本人や日本文化を否定する行為ではない。日本の社会の進歩であり、日本人が進化していく道だ。

 

    ↑一世を風靡したトヨタのCM「こども店長」シリーズ

 

❏ 受験秀才にリーダーが務まらない時代 

いままでは「こども店長」で務まってきた時代だったのだろう。だから一流とされる大学や研究機関でボヤ騒ぎがあっても、火消しに躍起となっている印象がある。このような有り体では、これからのグローバル時代の国際競争に耐え抜く資質も体力も怪しいと言わざるを得ない。

 

例えば、凋落著しいソニーである。確かに、新興国に用意に追いつかれる要素を秘めた家電業はリスクがもともと高かった。そこが自動車、鉄道車両、エレベータなどやや重厚さが求められる事業と袂を分かつ原因になった。しかし、富士フィルムが化学工業から踏み出して医薬業界へ進出したり、オリンパスなどの精密機器や分析機器の製造業が医療機器へシフトしてきた移転策は奏効してきたと思われる。その点、ソニーはロボット事業へ進出するチャンスがあった。が、どうも時の社長が成長の芽を潰してきたようだ。それも社長の「メンツ」なるモノが原因だとの証言が、出揃ってきている。不本意ながら解体された事業部のエンジニアは、各地へ散って、そこで成長を続けているらしい。真のリーダー足り得る人材を育てる役割が、これからの学校教育に課せられる。なぜならば、人生で最大の成長期にある学生時代こそが目先の「受験の準備」でなく、人の一生に係る「成長の準備」をする時期だからだ(竹内)。

 

追記:今週、配信されてきた日経ビジネス・宗像誠之氏の記事の一部が公開されている:

そしてソニーはロボット開発を止めた』AIBOの開発責任者、土井利忠の述懐(その2)

土井利忠氏は天外伺朗氏の本名であり、天外氏の著書の中で「D博士」として登場してくる。天外氏の経営者向けセミナーの参加料は割高であるが、教員向けセミナーが開催された時に同僚教員を伴い5名揃えば割引となる特典で参加したことがある。「人を育てる」気がない会社に未来はないからだ。まして学校は「人を育てる」場所であり、消耗させる場ではない。その日本の学校教育が今、大学入試を筆頭に変わろうとしている鼓動を感じる。千載一遇のチャンスとして、この流れを後押しして行きたい。