❏ 半端ない大人や中高生との遭遇

今朝、教育ベンチャーのCEOの方の来訪を受けた当日、生徒の一人にネット登録して貰い、午後の交流会にオブザーバーとして参加させて戴いた。何と本日の会合のセッティングは、現役の高校生が全て仕切っていた・・と言うから驚く他はない。しかし、思い返すと高校生の年代は本来、これくらいの潜在パワーを持っていたように思う。そして以前より、制度も環境も著しく整備されてきた。阻害する要因と言ったら、学校と先生だろうか(規定のルールに従っているつもりだろうが)。

 

邪険にしているのではない。学校も先生も、いて貰わなくては困る。ただ、生徒を理解し、応援して欲しいと、私は願う。私自身、教員でありながらそうでなく、まるで生徒の側に立っているように錯覚する。そう、私の距離感は、一般の教員よりアクティブな高校生の感覚に近い。誤解があるとイケないので補足すると、私が高校生並みに未熟である・・と言うより、私の心が高校生の頃のまま純度を保たれているのだと思う。私は「学業成績」という餌に釣られ、「アッチ向いてホイ」の集団催眠に掛からなかったのだと、密かにそう思っている。こんな時代がホントに来ようとは夢にも思わなかった。歴史的な転換点にいると思う。

 

❏ 凍結解除された若者の鼓動が頼もしい

新1年生の男子生徒1名を今日、私と社長との対話に立ち会わせてみた。昨年度の作家志望の高校生へ向けた私の処方箋が、文芸コンテストに応募するチャレンジであったが、今日の生徒への処方箋が「たくさんの大人や先行している高校生に会わせる。」であった。先日の面談で当該生徒のニーズを掴むや否や、私は速攻で縁を繋いで行った。外部機関のサポートスタッフとして同伴したことはもちろんのこと、今日の長い一日も学校の授業や実習で置き換えらせるものではない。私の頃は、大学生になって自主的に自分でプログラムを組んだ。現代の進んだ高校生は自分でネットの情報を見つけ、参加して来る。今回、参加した大人は、(CEO以外に)教員の私が1人と取材で来られていた報道関係者のみだけだ。したがって、私も極力、新しい萌芽を遠くから見守るスタンスを保ちたい。

 

             ↑藤井くんの自己アピール動画

 

今までの教育で物足りない意欲や才能の溢れた中高生が、あたかも恐竜の陰に潜んでいた小型哺乳類のような若者が活動しやすい時代になってきたようだ。私は苦節40年間、耐え忍び、一度は英国に逃亡したものの、「同じ社会を変えるなら生まれた国で活動した方がイイ」と日本へ家族と帰る決断をした。その刹那、脳裏をよぎったのが「生まれた国に対する責任」で、閉塞的な社会が嫌で飛び出た私には予想もできない想いであった。そう。多くの人は生まれた国の国籍を、まるで水や空気のように当たり前に感じて何も感じていないのであろう。私はいざ、国籍取得の条件(5年以上の継続的・合法的な英国居住。加えてチャールズ皇太子の晩餐会出席)を満たすや否や、心中に湧き上がってきた思念だった(竹内)。

 

追記: 私の中で、日本にいた頃の私は一度、抹消した・・と感じている。移民する前の私を知り、今の私を知る人がいたら別人であると驚くことであろう。実際に死の淵まで行ってきた人たちには申し訳ない言い方になるかも知れないが、私なりの擬似的な「臨死体験」だったと考えている。今の私に「強さ」が備わっているとしたら、この究極の選択を自分の意思の下で決めたという事実に由来するからだろうと思う。

今回、参集したCEOの山内氏(米国)も運営担当の小山氏(米国、英国)、そして私(英国)や藤井くん(中国)も、さらに参加した高校生諸君も大なり小なり海外コネクション(帰国子女やインターナショナル校在学)を持っていたように感じる。総じて、日本社会に特有の、お互いを牽制し合う息詰まる雰囲気とは無縁だったように感じた。国(文科省)がグローバル指向へと路線をシフトさせていく理由の一つであろう。