❏ 学校教育もセックスも一方通行

下世話な話で恐縮だが、日本の男は相手の女性の反応にお構いなくピストン運動するだけだと酷評されて久しい。が、ひょっとして学校教育に起因しているのかも知れない。実際、学校はコンテンツを一方的に生徒に押し付け、お構いなしにガンガン進む。妙な類似性がないだろうか?外国の教員も(=男性に相当)相手とする生徒(=女性に相当)側に寄り添い、相手の反応を伺い、生徒(=女性に相当)のためを思って教育(=行為)をする。ま、言ってみれば、日本の教育改革が長いこと放置され、少子化が進み、18歳人口の激減が引き金となって教育改革を余儀なくされてきた経緯は、まさに「身から出た錆」と言えなくもないだろう。決まったコトを決まったようにヤルだけの学校教育というのは、貧相な性行為と何ら変わりないと私は思う。手本に国産AV動画が量産されるのも、「検定教科書」に頼る性分からなのだろうか?

 

だから「学校のオベンキョウ」が「社会で役に立った」という声を聞かなくても至極、当然なのだ。ヤレばイイだけなら当然、そうなる。私の場合なら、学部卒で他大学の大学院へ進学するに当たり、先輩から手解きを受けた二人で手作りの1週間が「一生の宝」となった。その後、10年を経て、さすがに賞味期限が切れたので海外へ出稼ぎ(JICA専門家派遣)へ出て技術を延命させ、とうとう旧態化したので英国の大学院博士課程へDNAシーケンス&クローニング技術を教わりに出ることになった。故・本田宗一郎氏も明言されているが、学びは必要に応じて必要な時に必要な人が学ぶ方が効率が良い。日本の学校教育は基本的に、コンテンツが「いつか役に立つ」ことを想定しているが、そんな日がやって来るのだろうか?

 

❏生徒のニーズに応える教育サービス

私が担当しているコースの生徒2人は、バイオ系専門学校を進路に考えている。その意味では受験指導を考える必要はない。だから提供する教育サービスを設計する自由度が高い。結局、入試制度が高校教育の質を規定してしまっているのだ。そして難易度の高い大学へ進学させることが良い教師であり、良い学校。そこへ合格すれば自動的に将来が保証されるとでも、日本人は長い間、さしたる根拠もなく盲信してきた。それが、濱口桂一郎氏(2013年)が指摘した「メンバーシップ(会員制)型」雇用社会が支えてきた*。その結果、偽物がトップに君臨した結果、強固と信じられていた巨大組織の脆弱さが時間切れで露呈してきたのである。入試対策の不要な2人に対し、私は商業雑誌に実験結果をまとめた論文を「アウトカム」として投稿する指導に着手している。それは社会に一足早く出る生徒には、学んだことが即刻、対価に置換できるという事実を実感として体得して欲しいからである。

 

        ↑ 環境分野を扱う英『エコロジスト』誌

 

今年の生徒たちのニーズが掴めてきた(通学生のスクーリングがあったので遅延したのだ)。掴めたら私は即、意思決定する。ある生徒は、家系の帝王学を補完するニーズ。ある生徒は、前籍校の教育方策が招いた空白を埋めるニーズ。また、ある生徒は自分の適性や将来を見極めていくニーズ。常にゼロからスタートする私にとって、生徒のニーズを知ることが私自身の学びのスタートラインだ。厄介どころか、生徒のニーズがなかったら私に何ができようか? 育てられている方が、実は教員だったのだ(竹内)。

 

付記:読者が投稿者になり原稿料が支払われる仕組みは英国の商業雑誌(例えば、環境分野を扱うThe Ecologist)にはなかった。プロのライターだけに寄稿する資格がある。その意味では、日本の学校は「生徒参加型」ではなかった反面、「読者参加型」は日本の商業雑誌の独壇場であった。おそらく日本語圏のマーケットが限られるから日本の学会誌は会員が会費で支え、商業誌は読者が相互に支える仕組みとなって発達してきたのであろう。この事実は余り知られていないであろうが、ここに公開し、大阪校では「ジョブ型」教育の一環として読者の市場へ参入させて戴き、就職を目指す生徒を社会参画を促していく方針として掲げたい。これが、実社会へ進路を採る生徒たちへの向けた私の教育支援だと信じている。
   * 濱口桂一郎(2013)『若者と労働_「入社」の仕組みから解きほぐす』(中公新書クラレ465)

 

かつて私が定期購読していた英『エコロジスト』誌は、確かに読者が著者になることはできなかったが、読者が投書して議論(英国では珍しいディベート)できるコーナーは充実していた。これはこれで、欧米らしい文化であり、残念ながら日本人は参画しにくいが、私は言語の壁というより自分の意見を主張する文化や慣習が確立できていないことの弊害だと思う。私は、これが次の段階で日本の教育が目指すべき境地だと考えている。自分の研究結果を論文を投稿することは立派そうに聞こえるかも知れない。が、次のステージへ至る序章に過ぎない。