❏ 好評だった高専から大学への編入
そりゃ、そうだろう。高専は「高校+大学1・2年」の5年間(本科)の高等教育課程である。5年目には卒業研究が課され、いわば通常の大学より2年早く、卒業研究(論文+発表)を経験する。普通の高校生では進学校でも、大学受験対策にまとまった字数の論文を書く機会も皆無だったはずである。だから大学教授らも高専からの編入者を研究指導し、受験勉強しかしてない進学校の出身者との差異をハッキリと感じたはずなのだ。複数の大学教授からの肉声であり、高専からの編入者は一般の大学入試を経ていなくても何ら大学教育に支障がないことの証拠である。いかに大学入試が大学教育に役立っていないかの物的証拠である。高校でしておくべきことはコンピテンシー型・学び(スタディスキルズ)など他にあったことを意味している。前途ある若者を、どれだけ意味なく足踏みさせてきたのだろうか?
↑高専制度の位置づけ(国立高専機構)
もう1点、この入学ルートからであると、編入試験の受験生が「受験番号でなく、氏名で呼ばれる。」という事実である。これは、受験者の絶対数が限られるからである。かつ試験日が重ならなければ、複数回の受験が可能となる。入試の機会の「公平性」という1点からしたら、不公平に見えるかも知れない。それが従来の日本人の単純なメンタリティからすれば、である。が、現実的には実害もなく、むしろ好ましい成果をあげている。しかも、人が人を人の方法で選ぶ。「入試一辺倒」であった画一的選抜の方が余程、人間の多様性を著しく損ねてきた粗末な発想に基いていたのだ。
❏高校に専攻科を設けて大学編入させる意義
実は、国立高専からスタートしたこの大学入学ルートの「複線化」は、民間の語学系の専門学校へ拡大し、「複々線化」してきていた。また、堀川高校を皮切りとなった「探究学習」で論文を書かせ出したが契機となり、スーパーサイエンスハイスクールの実績から高校教育課程が従前の受験対策を乗り越える素地が整ってきた。無論、公立の中高一貫校(中等学校)で高校受験に中断されず研究活動を中心とした学習環境が、かなり無理しながらも整備されてきた。この学習環境でないと真の能力(コンピテンシー)開発にならないことなど、研究者なら誰でも知っていたはずである。答えの決まった受験勉強など思考力を劣化させていくだけで、その延長線上で独創的な論文も学位もないことなど、明らかだ。
最後のテコ入れが高校教育課程に専攻科を設けて、大学編入させる秘策の投入である。理想的には、専攻科は大学教育課程の「前倒し」で、若き力として定職につけていない博士(オーバードクター)を活用できれば万全であると思われる。それは残念ながら、現状のスーパーサイエンスハイスクールの各校で努力を認めるものの、高校教育の枠内では力不足は否めず、かつ大学からの協力を求めているが、私の目から見ても形式化しているように映る。あれでは、ホンモノであるとは言えない。そんなことは、発表会や報告書をみれば一目瞭然なのだ。否、高校側の誠意も努力も否定するつもりはない。が、制度設計としては無理がある。やはり、ここは高等教育向けの人材を高校へ参入させる機運が欲しい。各高校に1人、博士号保持者を置くだけでも事態は大きく好転していくはずである(竹内)。
付記:若手のオーバードクター(OD)の活用だけでなく、既存の中学や高校にも、現場で地道に研究を積み重ねてきた教員を複数、知っている。日本には独自の論文博士制度(博士号を認定する審査制度)の歴史があり、概ね上手く機能している。中には、大学院在学を条件に授与する課程博士より優れたベテランの研究者もいる。現場で積み上げてきた教員に対し、その学識を認定する流れが高まることで、既存の高校や中等学校に付設されていくであろう専攻科での教育指導にイニシアチブを執って戴きたい。
