❏ 当たり前が置き去りにされた日本の学校
旧制府立高校(後の東京都立大学)の初代校長を務めた川田正澂(まさずみ)氏は、まっこと土佐士族の"いごっそう"である。彼が描く理想の学校像に、「見た目」の虚飾などを潔しとしなかった。英国のパブリックスクールを例に見る少数精鋭で実のある「人を育てる」学校教育を希求した。そのような学校がかつて存在し、教育者が出たにも拘らず、その伝統は現代の日本へ引き継がれなかったようだ。日本の学校は小賢しい、男気もない、恋愛すらできない「小利口」を養成し、社会にバラ撒いてきた。それが何代にもわたって、浸透し、官・民を問わず社会の上層部を巣食っていった。そして、組織を支えている真の力ある者こそが下層界で冷や飯を食わされている、そんな日本に特有の社会の病理構造ができあがった。その中心的な役割を学校教育が担い、中でも高校が重要だったと睨んでいる。

 

学校は授業して、試験して、成績つけてナンボであろうはずがない。だが、延々と40年間は私の知る限りそのような愚行を重ねてきた。その挙句が、今日の日本のヘタレザマだと私は感じる。どこの世界に、「はい。予定通りにやった。だから十分でしょう。」でお金が貰える仕事があるのだろうか? が、大甘なことに、日本の学校教育はその程度でも通用してきた。私は途中から教育界に参入してきた。だから、その歪み具合が、つぶさに手に取るように私に丸見えだった。合格させれば良し。就職させれば良し。後は野となれ山となれ。こんな馬鹿げた道理がまかり通っていた。高専時代、私は実家のある東京の就職先開拓に奔走したが、人事担当に向けた言葉が、「キツネとタヌキの化かし合いは止めましょう」だった。

 

❏ 商品として「人」を生産・出荷するビジネス

それが、ようやく高校の上位にある大学から変わろうとしている。その大改革の影響を高校はモロに受けるようになることは必至である。現場は、嵐の前の静けさの様相を呈している。仮に全体として良い方向と薄々は感じていながらも、面倒なコト、厄介なコト。そう受け止めている状態だろうと私は察している。何しろ生徒が泣いても叫んでも、死んでいっても平気でいられる処世術を身につけているから、日本は生徒の自殺が絶えないのだ。私は居合わせた場面もあるが、「誰々くんの冥福を祈りましょう。」でオシマイだ。全く信じられなかった。異議を唱えたことで到底、日本の社会を根底からひっくり返さない限り無理だと感じた。この国の公教育に、責任者などは不在なのだと実感した。

 

反省はなし。改善もなし。学びもなし。成長もなし。教員が成長せずして、学生が成長できる道理がない。これでは、そのような教員が関与している学問が正当なはずがないであろう。誤解を恐れずに言うならば、学校は「人づくり」をする「工房」である。先ず、一人の人間から育てあげてこそ、「生産活動」としての「学校教育」だと言える。多くの学校は、「生産」でなく「見て見ぬふり」、つまり程度の差はあれ、誤魔化し「(若者言葉で言う)スルー」してきているのが日本の学校だと私は残念に思う。

 

              ↑ ツバメが子育てする光景

 

だが、ここへ来て急きょ、私立大学から生き残りを掛けた最終決戦の時代に突入した。時代が待てずようやく・・の感があるが、仕方ない。子供の夏休みの宿題と同様、切羽詰まるまで動き出さなかったのだ。これが、国立大学・高専へ及ぶであろう。そして何より最大級の規模が高校なのだ。戦々恐々として待っている状態であると、私は密かにこれから起きるであろう大激震を期待して待つ(竹内)。

 

追記:人を育てる教育は実行可能である。私が高専へ着任した直後から日々、挑戦だった。同じことを繰り返した気がしない。今も、私がスーパーサイエンスコースでカロッツェリアで手作りするように人を育てているのは、当時のノウハウの蓄積があって実現している。たかが1名や2名の成功で、どこが集団教育なのか・・と指摘する声もあるかも知れない。しかし、1名の見本となる学生・生徒を育てず、どこが学校教育なのかと言いたい。少なくとも生徒らの中から1名が突出すれば、それを見ている仲間にも当然、大きな学びになる。今までこそが「赤信号、皆で渡れば怖くない」で「知らぬ顔の半兵衛」を繰り返し、無言で絶滅へ至る行進の途上にいた日本社会だったのだ。新しい教育は、1人から始まる。それで良い。昨日、大阪芸術大学で「見本作」たる学生を出した進学説明会は、王道であることを教えてくれていた。