❏やさしくなるほど本質を突いていく

日本学生科学賞など優れた探究マインドを見せてくれる中高生は、小学生の頃から萌芽が見えることが少なくない。これは平易であるほど、より問題の核心を突いているを示唆している。それは、例えば、やさしい英単語ほど意味も役割も多様で奥深く、逆に長いスペルの英単語ほど意味も一対一対応して、ある意味、簡単であるという矛盾と類似する。

 

よく研究なんて、「大学生や研究者に任せておけば良い」とか「大学入試に合格できたら、研究を始めたら良い」などという尤もらしい意見を聞くが、本質を知る人にとっては失礼ながら、滑稽な議論に思えてならない。実は、独創性があり、本質に迫るような研究を心掛けようとしたら、大学生にあってから始めたのでは遅い。高校生でも遅いかも知れない。遅くとも中学生からでないと難しいと私は思う。何人かの識者は私の意見に同意してくださると思う。ベストは、小学生のうちに萌芽が見られることだろう。だから日本の文科省が、「初等中等教育」と「高等教育」で部局を分けていることは、ある意味で賢明な判断である。

 

         ↑豆科学者(中学2年)の名刺の裏面

 

❏大学・研究所の研究の少なからぬ部分

なまじ高度や分析機器や専門知識をベースにしているだけに、最先端の研究分野と言えども先行研究と似たり寄ったりになりがちである。それに加え、予算が付いたり高価な研究機器を備えるようになると、明らかに本末転倒だが機器のオペレータや追試めいた研究が延々と続くことになりかねない。一定の研究水準を維持する必要性もあり、そうそうオリジナリティーの高い研究成果がいきなり飛び出すということが起こりにくくなる。

 

リバネスが始めた超異分野学会に参加したら、中・高生が発表者としても参加していて驚いたが、よく考えたらプロ同士であっても分野を越えて議論する場合、お互い大人が中・高生に戻ったくらいにわかりやすく、かつ本質を捉えた議論をしないとならなくなるカラクリに気づいた。従って、プロの研究者や大人が敢えて、小・中学生や高校生まで噛み砕いて説明するような努力はプロ同士でも分野を越えて本質的な議論ができることでもあり、その姿勢は褒められて然るべきだと思う。

 

願わくば、文科省の「初等中等教育局」が「受験」のための暗記学習、すなわち「覚える頭」から脱却し、「考える頭」や「感じる頭」へ転換していくことを推し進めて欲しいと心から願いたい。