❏都庁での経験から見た官民の主客交代

昭和の半ば、日本はまだ戦後、10年ほどしか経ってなかった。その当時、東京でも日が落ちるとフクロウが鳴き、駅までバスで移動する道中、今と違って明るい街角が暗闇の中に点在していた。高圧線の鉄塔をシルエットに夕日が沈むのが見えた。そこには『ALWAYS三丁目の夕日』の描く原風景があった。その当時、役所が厳しく技術指導しなければ何事も進まないような時代があったらしい。戦後、しばらくは民間企業が育ったなかったからであろう。

 

名残りは私が都庁へ入った昭和60年頃までは多少、残っていた。しかし、その後、マスコミの公務員叩きが始まり(叩かれる理由もあったと思うが)、公務員の定数が削減されると伴に、公務員の役割が予算配分と意思決定に集中し、その判断根拠を持つだけの実務や技術の知識が疎くなっていった。いわゆる主客の逆転であり、その結果、何が起こるか? 「二人羽織」構造である。例えば、東京都下水道局は免疫抗体を用いた細菌の特異的な検出のためヤクルト本社中央研究所に発注したが、ELISA法などは都職員側が何とか学ばないと、にっちもさっちも行かないほど技術力に差が生じていた。現状では、避けられない問題であるにも拘らず、ギャップを埋める仕組みは整っていない。

 

   ↑二人羽織(飼い主と犬の例)

 

❏移り行くステージに追随する社会の仕組みがない

「民」が力をつけてくるに連れ、相対的に「官」が遅れを取る。人員も削減される。汚職防止のため定期的に部署を異動させる仕組みがある。このような事情から「官」の側に専門性が育まれる土壌が喪失していった。それでも、予算・人員・職務と言った決定権は温存する。が、現実的に「民」が提案してきた文書が理解できない事態が起こってくる。「ひとくいこうたい」が大多数の公務員には「人喰い交代」と聞こえても誰が笑えるだろうか? 「非特異抗体」だと理解するのに、ある程度の素養がいる。大卒(院終了)後にアップデートできる組織や社会の仕組みがないことが問題なのだ。 

 

私自身、15年間、東京都職員として奉職した最後の2年間でJICA専門家派遣を経験した。それも7年目で海外研修制度の恩恵で英国リーズ大学へ半年間、客員研究員として派遣されていたから英語媒体での業務も遂行できた。研究費を得ようとタイと日本の研究者を組織したことも懐かしい思い出である。これらが全て、2000年に英国へ渡るための準備になった。私は微生物学を専攻したが、東京都へ入った1985年には新しいPCR法が開発されていた。当然、大学時代に学んだ知識だけでは、学会発表を聞くことも、論文を読むことも、研究して論文を発表することも困難な事態に早晩、陥るところだった。大学での学びは突然、通用しなくなる。が、職場にそれを補填する仕組みなどなかった。だから都庁の退職金とJICA専門家時代の契約報酬を元手に、英国へ新技術の修得へ旅立つしか道がなかったのだ(竹内)。

 

付記:大学で先輩(後の国立感染症研究所の研究室長)から微生物学の手解きを受けた時、「これで10年はメシが食える」と実感した。が、無理して15年間、引き延ばすのが限度だった。現代社会では、一生涯食っていける学問や技術を大学が伝授するようなことは到底、困難である。要するに、賞味期限が切れた後、各自で対処していけるように「普遍性のある学び」を提供すべきである。それが高校は「大学合格まで」、大学は「就職が決まるまで」の刹那主義の教育に留まっている。どう見ても異常だろう。私はその都度、身銭を切ってきたから、職務をステップアップしてきた。見掛けは転職であるが、筋は通している。何をすべきかは、私には見えている。国も大学も、動こうとしている。次に検証していくことにしよう。