❏工場の生産モデルを踏襲した日本の学校
それは"The Factory Model of Education"と呼ばれる。以前、米国からの高校の訪問団を迎え、教育論議をしてことがある。そこで国際交流室長だった私はこのキーワードを出し、この教育スタイルがいつ頃まで米国の学校では通用していたのか知りたくて真っ先に質問した。相手側は私の問題意識を知るや否やニコリとして、「米国では、おおよそ1950年代までだ」と応えてくれた。米国でもそのような暗黒時代を経てきた事実は私には驚きであったが、この言葉は英国で産業革命が起こった頃の教育現場を形容する場合に使われる。が、日本ではずっと踏襲されている。その実態を変えるがため今、文科省では「アクティブ・ラーニング」を旗印に「生徒が主体となる学び」を実現しようと舵を切り始めたのである。しかし、長い間、定着してきた日本の教員の「教える」という固定観念を切り替えるのは容易ではない。腰が曲がったお婆さんにとっては、腰を伸ばす方が苦痛なのだ。日本の学校の教員の大半は、そのような状態に陥っていると思う。何しろ「外の世界」を見ることも、また外部から「どう見えるか」を聞き出すこともせず、「見ざる-聞かざる-言わざる」を賢い処世術だと割り切ってきた結果、時には生徒を死の淵へ追いやるような日本の学校の体質が形成されて行ったのだと思う。

↑ペドロを迎えての「び生物ウォッチ」
❏「奇異」に映っていた日本からの留学生
ハワイ大学マウイ校でEFL教員をしていたペドロにとって、迎えた留学生のうちで日本人に共通して奇異に感じる点があったそうである。それは、授業に積極的に参加する積極性が見られない点だったそうだ。それは日本の会社員を相手に社内講習として英語を教えた場合にも共通するらしい。ある意味、日本にはさながら「授業中は発言してはいけない」とか「黙って聞くだけにしないといけない」という憲法があったかのように映ったことだろう。日本の企業から大学へ非常勤講師として教壇に立つようになった方からも同じような意見を聞いたことがある。「壁に向かって話すようで嫌だ。」が実感だったそうだ。私も、その後、53歳で高専の教壇に立ち、授業中に自分の意見でチャチャ入れてくる学生がいるクラスの方が、張り合いもあって授業はしやすかった。しかし、大半の教員は黙って授業が進行することを良しとする固定観念があったようだ。が、これは本来の教育の趣旨からしたら、マトモに仕事をしていないことに匹敵する。ハッキリ言って生徒が黙りこくって教員が一方通行で話すような授業は、単なる「時間潰し」である。要するに適当に時間が潰せればラクだから、「仕方ないでしょ」と放置され続けてきたのだろう。
❏工夫せず、なし崩しにしてきた日本の学校
欧米には小学校の頃から"Show & Tell"というプレゼンテーションがある。子供が家からペットやオモチャなど自分の好きなモノを学校へ持ってきて、それを説明させる授業である。これが、個人の自己表現の訓練になり、積極性を涵養していく素地となる。ペドロによれば、親戚のおじさんが消防士であれば、消防服を着たまま学校へ連れて行くようなケースだってあると言うのだ。日本人と外国人との違いは、ある程度は遺伝的な素因も皆無だとは言わないが、何の対策もしてきてない・・それどころか帰国子女が海外で育んできた積極性をしばしば否定し、さらには取り上げててきた形跡がある。だから到底、自分たちは「変える気はない」と言わんばかりである。加えて、学校は「何をしたか・・」であって「その結果、どう成長したのか・・」問うような話はたんと聞かない。「某大学へ合格した」というニュースが舞い込んでも、どんな勉強が効果があったのか、大学に進学後にこう役立った・・という話題に乏しく、これでは日本国民は皆、思考停止している状態にあると言わざるを得ない(竹内)。
追伸:以前にも書いたが、ペドロのような日本の学校教育の欠陥を熟知した外国人が日本へ来てくれて、これから手腕を振るって貰えるのは非常に心強い。
それは"The Factory Model of Education"と呼ばれる。以前、米国からの高校の訪問団を迎え、教育論議をしてことがある。そこで国際交流室長だった私はこのキーワードを出し、この教育スタイルがいつ頃まで米国の学校では通用していたのか知りたくて真っ先に質問した。相手側は私の問題意識を知るや否やニコリとして、「米国では、おおよそ1950年代までだ」と応えてくれた。米国でもそのような暗黒時代を経てきた事実は私には驚きであったが、この言葉は英国で産業革命が起こった頃の教育現場を形容する場合に使われる。が、日本ではずっと踏襲されている。その実態を変えるがため今、文科省では「アクティブ・ラーニング」を旗印に「生徒が主体となる学び」を実現しようと舵を切り始めたのである。しかし、長い間、定着してきた日本の教員の「教える」という固定観念を切り替えるのは容易ではない。腰が曲がったお婆さんにとっては、腰を伸ばす方が苦痛なのだ。日本の学校の教員の大半は、そのような状態に陥っていると思う。何しろ「外の世界」を見ることも、また外部から「どう見えるか」を聞き出すこともせず、「見ざる-聞かざる-言わざる」を賢い処世術だと割り切ってきた結果、時には生徒を死の淵へ追いやるような日本の学校の体質が形成されて行ったのだと思う。

↑ペドロを迎えての「び生物ウォッチ」
❏「奇異」に映っていた日本からの留学生
ハワイ大学マウイ校でEFL教員をしていたペドロにとって、迎えた留学生のうちで日本人に共通して奇異に感じる点があったそうである。それは、授業に積極的に参加する積極性が見られない点だったそうだ。それは日本の会社員を相手に社内講習として英語を教えた場合にも共通するらしい。ある意味、日本にはさながら「授業中は発言してはいけない」とか「黙って聞くだけにしないといけない」という憲法があったかのように映ったことだろう。日本の企業から大学へ非常勤講師として教壇に立つようになった方からも同じような意見を聞いたことがある。「壁に向かって話すようで嫌だ。」が実感だったそうだ。私も、その後、53歳で高専の教壇に立ち、授業中に自分の意見でチャチャ入れてくる学生がいるクラスの方が、張り合いもあって授業はしやすかった。しかし、大半の教員は黙って授業が進行することを良しとする固定観念があったようだ。が、これは本来の教育の趣旨からしたら、マトモに仕事をしていないことに匹敵する。ハッキリ言って生徒が黙りこくって教員が一方通行で話すような授業は、単なる「時間潰し」である。要するに適当に時間が潰せればラクだから、「仕方ないでしょ」と放置され続けてきたのだろう。
❏工夫せず、なし崩しにしてきた日本の学校
欧米には小学校の頃から"Show & Tell"というプレゼンテーションがある。子供が家からペットやオモチャなど自分の好きなモノを学校へ持ってきて、それを説明させる授業である。これが、個人の自己表現の訓練になり、積極性を涵養していく素地となる。ペドロによれば、親戚のおじさんが消防士であれば、消防服を着たまま学校へ連れて行くようなケースだってあると言うのだ。日本人と外国人との違いは、ある程度は遺伝的な素因も皆無だとは言わないが、何の対策もしてきてない・・それどころか帰国子女が海外で育んできた積極性をしばしば否定し、さらには取り上げててきた形跡がある。だから到底、自分たちは「変える気はない」と言わんばかりである。加えて、学校は「何をしたか・・」であって「その結果、どう成長したのか・・」問うような話はたんと聞かない。「某大学へ合格した」というニュースが舞い込んでも、どんな勉強が効果があったのか、大学に進学後にこう役立った・・という話題に乏しく、これでは日本国民は皆、思考停止している状態にあると言わざるを得ない(竹内)。
追伸:以前にも書いたが、ペドロのような日本の学校教育の欠陥を熟知した外国人が日本へ来てくれて、これから手腕を振るって貰えるのは非常に心強い。