❏学校が「作業場」になっていないか
広島県で中3生が自殺していた。1年生の時に万引きしたとの間違った記録が元で、高校受験時に校長の推薦ができないからと「機械的に」処理されたのだとニュースソースは伝える。報道された同級生の証言によると、勉強もスポーツも抜群で、万引きするような生徒ではなかったと言う。教員が生身の「生徒」でなく単に「記録」を見ている事務職のようではないか?

何でこんな非人間的な出来事が起こるかと言うと、まるで「人間を点数で見るロボット」が大量生産され、社会にバラ撒かれていることを示唆する。その生産拠点が「学校」だったようだ。点数が採れて、大学に合格できなければ仕方ない・・と「人間するのを辞めさせてきた」非人道システムが作動してきた結果で、OECD諸国は日本に警告してくれていた。英国BBC放送も、日本のダークな社会を採り上げて放映していた。私が翌朝、研究室に出向くと、メンバーが口々に「日本ってホントにそういう国なのか?」と尋ねてきた。私が黙って首を縦に振ると、「だから、ジュニは英国へ移民してきたんだね。」と納得して貰えたものだ。でも、私はこうして社会を変えるため日本へ戻ってきた。だから中核となる高校、それも「落ちこぼれ」が集うとされる通信制高校で活路を切り開いている。

❏世に言う「落ちこぼれ」の方が真っ当
魔族に魂を売ったような人間こそ、日本の社会の上層部を占めている。全てとは言わないが、それが元で、大手企業の屋台骨が崩れ、官公庁も正しい意思決定ができない。政府間交渉も下手である。私は在外公館の実態も見聞きしているが、日本に外交官はいても専門(医療、警察など)のアタッシェは一等書記官と呼ばれても各省庁からの派遣組であり、私より英語が実用レベルで使えない人たちだ(私は文書を読み、自力申請して英国・内務省の移民審査をパスしている)。


   ↑減点法の最たるチェックリスト

今の日本の成功者と思しき者は、「失敗」したことのない無難路線を選んだ人が大半だと思う。その実態は「エセ成功者」だ。真の成功者ではなく「失敗してないだけ」の臆病者で、最後まで「逃げ切る」ことしか頭にない。赤ん坊だって転びながら歩きを覚えるのに、大の大人が赤ん坊にも劣る生き方をしてきている。これが、日本の国が急速に劣化してきた主な原因と見て良い。その意味では、世に言う「落ちこぼれ」の方が期待できる面がある。が、既に今までに植えつけられてきた間違って固定観念を払拭させることは、これまた容易ではない。日本の間違った学校教育は適応した者も不適応者も、伴に破壊してきたのが実情だ。ご丁寧なことに。

❏減点法しか知らない人は成功体験がない証拠
日本では「減点法」を当たり前と捉え、それしか知らない人たちがいる。それしか知らない人は、まず成功体験がないのだと私には思える。古くから「失敗は成功のもと」ということわざがあるにも拘わらず、その意味を考えたことがないのだろう。発明や発見は、絶対に失敗を経なければ得られない。それは偶然の産物だから、計画通りに発明や発見はできないのだ。それを心得ない人は、「失敗しなかっただけ」の人生を歩んできたに違いない。だから本当の意味で「生きてきた」と言えないと私は思う。スマホに乗っ取られた「生き死人」が多くなってきたようだ。

以前、こんな逸話を聞いた。東京が江戸と呼ばれた頃、江戸は大火で有名な土地だったらしい。昔のことだから「人相診」を生業とする易者がいて、こう口をきいたそうだ。「最近、死相が現われた者が多くなっているから近々、江戸で大火が起こるだろう。」と。これでは科学的とは言い難いが、人相を見えばその土地が持つ運命が判断できるというのも、アリなのかも知れない。日本は古来より大災害やら戦禍に見まわる土地で近年、さらに人為的な大失態が加わってきた。
不測の大津波に巻き込まれた犠牲者に対し気の毒であるが、今の世相を見るにつけ大量死してもおかしくない不穏で不安定な社会を作り上げてきた気がしている。これに対し、少しでも抵抗を続けていくことが防止していく、せめて裁きを低減させていく第一歩だと感じている(竹内)。

付記:発見や発明は、失敗することが必要条件である。が、日本の学校教育は試験で代表されるように失敗を忌避させてきた。その結果、「失敗したことがない」だけのニセ成功者が社会の上層に蔓延した。だから大企業や官公庁が脆弱化していったのは当然の帰結だ。

高校生を相手に探究学習の中で例に採り上げた「偶然の失敗」と、「そこで得た成果」の事例を大阪校の公式ブログに掲載したので是非、ご参照戴きたい:
1)実験の「失敗」から学ぶスーパーサイエンスコース(2016年2月3日掲載分)
2)新しく実験系を開発し、「シスト PTPシート」と命名(2016年3月8日掲載分)

なぜ高校生のうちに「探究」していく実体験が必要なのかも併せて解き明かしました。一度でも、体験しておけば独立して成長し続けますが、自主的に活動して成功する体験を経験しておかないと大学でも社会でも「使い捨て」られてオシマイです。要は、組織や社会へ才能を発揮して貢献できないとこれからは厳しい時代なのです。これまではなまじ才能がある方が敬遠されてきました。しかし、これからは、力ないと組織や国家も衰退の一途を辿ることになるからです。文科省も気づきました。それで焦っているのです。