❏驚愕の日本の英語力調査
HUFFPOSTの記事によると、最新(平成26年度)の日本の英語力調査結果(高校3年生対象)の速報では「英語力のあるなし」の問題どころでなく、日本の英語教育は「完全に大失敗」だと鈴木勇貴氏が論評している。私も日本の生徒は本当の意味で「英語を教わってきてない」のだ、と私は考えている。そうでなければ、この結果の「説明がつかない」のではあるまいか?

報道にあった高3生でも高卒程度とされる英検2級の合格者が全体の2%というのは、私が高専で4年・5年(大学1年・2年相当)の『工業英語』を教えてきた経験からすると実態と合っている。国際交流室長として学生支援機構(JASSO)から海外渡航の助成金を取得してきてもTOEICのスコアが常識的に想定した基準に到達できず、全体の半数以上を返納しなければならないほど低レベルなのだ。3年生のTOEIC試験の監督したこともあるが、学生は「先生、僕たちコレですよ~」鉛筆を転がしてみせて私に窮状を訴えてくる。日本では、英語で進む試験を経験させてないのだから、学生には酷い仕打ちだ。


  ↑文科省の調査報告書から抜粋

❏日本人の英語が使えない理由づけに対する誤謬
以下のような見解を半ば、常識であるかのように耳にする。が、私はいずれも事実誤認があると見ている。論理の詰めが甘いのだ。このような言い訳は英語圏なら通用しないだろう。だから、日本ではモノゴトが進展しない、格好な例である。
1)日本では英語を使う機会がない 現状はその通り。それは過去から今までの事実を説明したに過ぎない。自分たち日本人のことなのに、そこから先、どうしたいかの議論を避けている。これは論理のすり替えであり、ここに英語国民がいたらタダでは済まない。
2)翻訳機が開発されるから英語は不要 これも耳にするモットモらしい理由づけだ。だが、これをモノの本質を分ってない。先ず、翻訳機でできることは単語の置き換えに過ぎない。人工知能(AI)がある程度のカバーはできると錯覚するのは分かる。しかし、英語という言語は事細かな事実を把握している当事者でないと時制も名詞の単複も、冠詞も使えない。STAP細胞論文の一件で小保方さんの英文のコピペが非難されるが、英文のパターンは収斂する。肝心なことはコピペの是非ではなく、英文を自らの発意で「書くという楽しみ」を与えられなかった英語教育の貧困さだと私は思う。

これらの理由を陳述する人々は、先ず英語を実用レベルで使ったことがないに違いない。せいぜいが「英語科の問題」を解く(英文を数学・物理のように解く行為自体が既に異常なのが)ことしか知らないか、そう思い込んでいるのではないだろうか? 英語と言うものは、その人が目的とすることの手段に用いることが大原則で、英語を使うことを通じて英語圏のモノの考え方がわかる。英語を知ることで、改めて日本語を知ることになる。従って・・
3)英語を勉強する前に日本語をキチンとするべき これも、蒸し返すように繰り返される議論だ。その答えは上に書いた。結局、英語を実用レベルに使ったことがない人には何を言っても無駄だし、英語が使える人々であり、かつ3)の主張をする人たちは、英語利権が絡む人だと思って間違いないと思う。しかし、英語利権が絡むごく一部の人より遥かに多くの一般人が背後に控えていることをお忘れなく。しかも、アフリカ大陸から世界各地へ拡散して行った人類は、インターネットも空路も発達した今、再会して言葉を交わせる時代になったのだ。人類は最低、二ヶ国語を話す方向へ生物進化する。日本だけが唯一、その進化から取り残されている。これが、真相だと私は考える。

❏日本語だけの世界では片肺飛行
日本語がダメだと言っているのではない。日本語が特殊過ぎるために、日本語だけでは足りないのである。日本語は「感じる」言語としては突出している。一方、英語など西欧の言語は「考える」言語として優れている。だから西欧で科学が生まれ、発達してきた。日本語は外来語をカタカナ表記して取り込める優れた利点を持ち、科学的な知識を急速に吸収し、科学を自分の血肉にしてきた。しかし、それは科学を産んできたのではない。そのため当の日本人ですら、その経緯を錯覚しているのだ。

日本人が生真面目で、科学を後追いして習得する力量に長けていたことに疑問を差し挟む余地はない。今に至る歴史が、そして何より実績が証明してくれている。しかし、その事実と科学をゼロから生み出す力を持つこととはイコールではないだろう。その違いを論じていく力が、日本人にあるか否かだ。私は科学を習得して西欧に追いつくことに満足せず、謙虚に日本人は振り返るべきであったと思う。そして余裕が生じた後は、科学の成り立ちを理解するため、その背後に英語という論理性に優れた言語があったことに想いを馳せるべきであったと述べておきたい(竹内)。

追記:
世界の情報メジャーは(元石油メジャーの)オランダであり、エルゼビア社である。学術雑誌の出版と図書館などに有料で提供する学術文献パッケージの分量では、世界最大級であろう。同社が、かつて世界で日本人だけを名指しし、こう非難した。「日本からの投稿者は、投稿前に英語ネイティブ話者によって英文を校閲してから原稿を提出するように!」と。英語で論文を書いた者であれば自覚できるはずだ。冠詞・名詞の単複・時制の3つの難関があることを。これを単純なケアレスミスと捉えることは間違いである。日本語にない言語要素だから間違えるという見解そのものは正しいが、それで構わないという説明にはならない。これを放置しておいては、科学という土俵にあがる資格すらないのだ。なぜなら、これら3つが論理的思考を創り出すである。