❏本日発表された東大の推薦入試結果が示すこと
東大の推薦入試の合格者の中に、センター試験で「第一段階選抜」の基準に達していない者がいたと公表された。東大に限らず日本の大学入試は、この手の「合格者」を取りこぼしてきたはずである。当然であるが、選抜方法や選抜基準を変えればスクリーニングに掛かる結果は変わってくる。私自身、高専時代には中間と期末で自分が担当する科目の定期試験で実証実験をしてみたことがあった。無論、中間と期末は、平均して学年末のデータとするので学生たちに実害は及ばない。従来型の出題と比べて、最大で±20点くらいの振れ幅が見られた。無論、稀にどちらにも対応できる学生もいた。
今後の焦点は、どちらの選抜方法で引っかかった合格者の方が大学入学後に伸びるか・・だろう。海外の大学では当然、追跡調査をすることが普通で、米ハーバードでは最大25年間も定期試験の結果を追跡したデータが残され、カリキュラムへ反映されている。これが最高学府に相応しい取り組みだ。これからの入試を含む敎育改革の軌跡は是非、記録に留めて有効活用して欲しいものである。私は国立高専の一教員としての取り組みであったが、5年間で大きな収穫を得た実感がしている。それゆえ実証実験を終えて、自分の意思で敎育手法をデザインできる新設の通える通信制高校へ移ったのだ。ここでは制限を受けることなく、「探究学習」でも「創作学習」でも目の間のリアルな生徒に提供しその都度、軌道修正ができる。本来、国立高専も学習指導要領の規制を受けない特殊な校種であるから冒険はできたのだが、それに挑もうとする者はいなかった。私は学科に11名教員がいる中の1名に過ぎず、私は最後の年度は分野代表(学科長)だったが、合議制であることがネックであった。今は私1人で1つのコースを担当している。つまり自分が担当する通学生の命運は私1人が握っている。だから飛躍させてあげることができたのだ。雁字搦めに縛り付けておいて成功した例が何処にあるのなら是非、聞いてみたいものである。裁量権を与えて生徒も敎育も伴に成長するか、規制下で両方をダメにするかの二者択一しかない。

↑私がいた学校玄関の車回し(広島県)
❏高専は「奇跡」の学校か「化石」の学校か
OECD調査団が日本の敎育機関を視察に来た際の有名な逸話である。文科省は最後にオマケ程度に高専を視察行程に加えた。すると、OECD一行は皆、「日本には、こんな学校があったのか?」と一様に驚いたそうだ。なぜなら高専に相当する学校(高校と大学を一体化した学校)は世界中に一つも存在しなかったからである。つまり齢15歳にして「教授」と呼ばれる博士号を持った教員に中学出たての子どもが指導を受ける。これは、一つの奇跡に違いない。しかも、国立大学への編入時には独自の試験を「受験番号」では「氏名」で呼ばれる。無論、センター試験も課されない。それでいて、大学側からの高専卒業生に対する評判はすこぶる良好である。何しろ成績不振で放校処分を食らった者でも、私立大学へ移れば首席になれる学力ポテンシャルにあるのだ。
こう書くと理想を絵に描いたようであるが、現実はこれだけの素材を席次争いで”共食い”させてしまっている。制度は良くても運用は最低で、その根本原因は大学に対する劣等意識にあるのだろう。同時に、博士号を持ち、教授と呼ばれても名誉だけで高校教諭で給与面で負けている。その上、部活顧問に学寮の宿直業務がある傍ら、学会発表や論文執筆、特許取得の業績も求められている。なおかつ、高価な分析機器を動かす暇がないほどの授業と試験の連続・・。私は授業も試験も最大限の工夫を重ねてきた。それは私を知っている卒業生が証言をしてくれるだろう。加えて感度が劣化してしまった学生たちを私は国際交流室長という立場を利用してカンフル剤を打って、学生たちを生き返らせる策を講じてきた。最後の頃、私は3時まで研究室に居残り、風呂に入りに宿舎へ戻り、明け方のラッシュが始まる前に学校へ舞い戻るという生活をしてきた。それが今の私の財産になって生きている。私が高専時代に蓄積してきた実績は全て大阪へ持って来ている(竹内)。
付記:
高等専門学校(こうとうせんもんがっこう)は、後期中等教育段階を包含する5年制(商船に関する学科は5年6か月)の高等教育機関と位置付けられている日本の学校 。一般には高専(こうせん)と略される。 学校教育法を根拠とし「深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成する」ことを目的とする一条校である(Wikipedia日本語版から抜粋)。
東大の推薦入試の合格者の中に、センター試験で「第一段階選抜」の基準に達していない者がいたと公表された。東大に限らず日本の大学入試は、この手の「合格者」を取りこぼしてきたはずである。当然であるが、選抜方法や選抜基準を変えればスクリーニングに掛かる結果は変わってくる。私自身、高専時代には中間と期末で自分が担当する科目の定期試験で実証実験をしてみたことがあった。無論、中間と期末は、平均して学年末のデータとするので学生たちに実害は及ばない。従来型の出題と比べて、最大で±20点くらいの振れ幅が見られた。無論、稀にどちらにも対応できる学生もいた。
今後の焦点は、どちらの選抜方法で引っかかった合格者の方が大学入学後に伸びるか・・だろう。海外の大学では当然、追跡調査をすることが普通で、米ハーバードでは最大25年間も定期試験の結果を追跡したデータが残され、カリキュラムへ反映されている。これが最高学府に相応しい取り組みだ。これからの入試を含む敎育改革の軌跡は是非、記録に留めて有効活用して欲しいものである。私は国立高専の一教員としての取り組みであったが、5年間で大きな収穫を得た実感がしている。それゆえ実証実験を終えて、自分の意思で敎育手法をデザインできる新設の通える通信制高校へ移ったのだ。ここでは制限を受けることなく、「探究学習」でも「創作学習」でも目の間のリアルな生徒に提供しその都度、軌道修正ができる。本来、国立高専も学習指導要領の規制を受けない特殊な校種であるから冒険はできたのだが、それに挑もうとする者はいなかった。私は学科に11名教員がいる中の1名に過ぎず、私は最後の年度は分野代表(学科長)だったが、合議制であることがネックであった。今は私1人で1つのコースを担当している。つまり自分が担当する通学生の命運は私1人が握っている。だから飛躍させてあげることができたのだ。雁字搦めに縛り付けておいて成功した例が何処にあるのなら是非、聞いてみたいものである。裁量権を与えて生徒も敎育も伴に成長するか、規制下で両方をダメにするかの二者択一しかない。

↑私がいた学校玄関の車回し(広島県)
❏高専は「奇跡」の学校か「化石」の学校か
OECD調査団が日本の敎育機関を視察に来た際の有名な逸話である。文科省は最後にオマケ程度に高専を視察行程に加えた。すると、OECD一行は皆、「日本には、こんな学校があったのか?」と一様に驚いたそうだ。なぜなら高専に相当する学校(高校と大学を一体化した学校)は世界中に一つも存在しなかったからである。つまり齢15歳にして「教授」と呼ばれる博士号を持った教員に中学出たての子どもが指導を受ける。これは、一つの奇跡に違いない。しかも、国立大学への編入時には独自の試験を「受験番号」では「氏名」で呼ばれる。無論、センター試験も課されない。それでいて、大学側からの高専卒業生に対する評判はすこぶる良好である。何しろ成績不振で放校処分を食らった者でも、私立大学へ移れば首席になれる学力ポテンシャルにあるのだ。
こう書くと理想を絵に描いたようであるが、現実はこれだけの素材を席次争いで”共食い”させてしまっている。制度は良くても運用は最低で、その根本原因は大学に対する劣等意識にあるのだろう。同時に、博士号を持ち、教授と呼ばれても名誉だけで高校教諭で給与面で負けている。その上、部活顧問に学寮の宿直業務がある傍ら、学会発表や論文執筆、特許取得の業績も求められている。なおかつ、高価な分析機器を動かす暇がないほどの授業と試験の連続・・。私は授業も試験も最大限の工夫を重ねてきた。それは私を知っている卒業生が証言をしてくれるだろう。加えて感度が劣化してしまった学生たちを私は国際交流室長という立場を利用してカンフル剤を打って、学生たちを生き返らせる策を講じてきた。最後の頃、私は3時まで研究室に居残り、風呂に入りに宿舎へ戻り、明け方のラッシュが始まる前に学校へ舞い戻るという生活をしてきた。それが今の私の財産になって生きている。私が高専時代に蓄積してきた実績は全て大阪へ持って来ている(竹内)。
付記:
高等専門学校(こうとうせんもんがっこう)は、後期中等教育段階を包含する5年制(商船に関する学科は5年6か月)の高等教育機関と位置付けられている日本の学校 。一般には高専(こうせん)と略される。 学校教育法を根拠とし「深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成する」ことを目的とする一条校である(Wikipedia日本語版から抜粋)。