❏『近大グラフィティ』のインパクト
雑誌の体裁である。発行年月日や巻・号に関する書誌学的な記載が見当たらない。「2016年特別版」であり、「Tokyo grafitti増刊」と刻印されている。「何じゃぁ、コレは?」が、初めて手に取った時の第一印象だった。
中央部に『近畿大学 大学案内2016』とある。これが、当校の広報グループの下へ送りつけられてきた時、衝撃的だったらしい。ある意味、広報担当者の眠れるマインドを呼び覚ましたみたいだ。あたかも、あのエヴァが鼓動を打って起動し出すシーンのように・・。

↑これが、噂の『近大グラフィティ』だ!
❏アリのままリアリティで勝負する広報誌
それまでの学校案内パンフレットは、とにかく美しく仕上げることが「常識」だった模様。私は以前、理科室で撮影するシーンで開校当初のように殺風景に整理して欲しいと撮影担当の職員(今は転職)から注文を出され、「商業写真のような美しさを求めるなら、どうぞスタジオで撮影したらいかがですか?」と私は文句を言わざるを得なかった。そうでしょう。ここは学校なのだ。いくら見栄えよく撮れても、反って胡散臭い。
そうでなくても入学相談で学校を訪問、理科室へ回されてくる親子の表情には「騙されまいぞ!」との不安が私には見て取れる。商売のコツは決して、愛想や見た目でなく、正直で実直であるという話はよく聞く。身だしなみは必要。だが、過剰な装飾がイイのか、滲み出る誠意がイイのかは、ここで答えるまでもないであろう。誤魔化し始めた途端、砂上の楼閣なら崩壊し出すものだ。
❏秘話『近大グラフィティ』誕生の心意気
不思議な雑誌の表紙を返すと、見返り部に経緯が記されていた。とある日、志願者数で日本一を誇る近畿大学の関係者から、インディーズ系の「東京グラフィティ」編集部に「いっしょに近大グラフィティを作って貰えませんか?」との提案があったそうだ。つまり読者(在学生、時間差で志願者)参加型の雑誌のスタイルをそのままに、未経験な「学校案内」でコラボしよう・・との粋なプロポーザルだったのだ。
同誌編集長の鈴木俊二氏は、思わず「やるなぁ、近大。攻めてるなぁ・・」と実感したと言う。これは、宮崎駿監督が要所要所でプロの声優を敢えて使わず、異分野から声の出演を抜擢した、いわゆる「予定調和を壊す」行為に通じるセンスに通じる。無論、パンフレットを醜く作れと私は注文したつもりはない。しかし、これぞ勢いを秘めたグループならではの取り組みだと思う。
❏「妥協」から「傑作」は生まれない
安直や無難な「一丁上がり」で手を打つ・・そのような風土からは絶対、イノベーションは生まれようがない。今、教育界は唯一の正解を答えて満足するニセモノの段階から脱却しようと必死だ。そして、正解の解らない問いを立て、それに向かっていく中でホンモノの実力を獲得しようと、大きな成長をしようとしている。そんな渦中にいるという事実を忘れてはだめだ。
一時的に労力が大変そうに聞こえるかも知れない。それは近大(近畿大学)の最近の躍進振りをみたら、決して苦労なだけでなく、それを上回る見返りがもたらされることは明らかであろう。レバレッジ(テコ)の原理である。それまでの初期投資が、大きなリターンとなって帰ってくる。その間、目立った進捗は目に見えないかも知れない。しかし、実を結ぶまでに5年とか10年を要する種蒔きであるなら、始めるのが遅れれば、その分、収穫も遅れる。先日もブログで紹介したリバネスやマクロジェンの最近の大躍進は、10年前に今ある姿を見越して着手していた努力の賜物である。それを見習わない理由はない(竹内)。
追伸:「先生、質素だけれど、こういうパンフレットがいいよ。」と、大学が決まって不要になった専門学校のパンフレットを見本に手渡してくれた卒業生のHさん。「方々から通信制高校のパンフレットを取寄せてみたけれど、ルネのがイチバン豪華だったのは間違いないけれど、違和感を感じた。」と話してくれた在校生のMさん。学校案内のパンフレットは「こういうモノ」という定式化された「常識」がピクリとも動かなかったんだよ、ごめんな。ただ、今からは時代が大きく変わって行きそうです。過去の常識が非常識に。そして非常識こそ、これからの常識に。今は時代が変わる激流のまっただ中に、私たちはいるのだと感じています。遅れてしまったけれど、生徒が誇りに感じて貰える等身大(文字通りの意味ではない)の学校案内のパンフレットが大阪校から生まれそう。担当者には艱難辛苦だろうけれど、期待して待ちましょう。
雑誌の体裁である。発行年月日や巻・号に関する書誌学的な記載が見当たらない。「2016年特別版」であり、「Tokyo grafitti増刊」と刻印されている。「何じゃぁ、コレは?」が、初めて手に取った時の第一印象だった。
中央部に『近畿大学 大学案内2016』とある。これが、当校の広報グループの下へ送りつけられてきた時、衝撃的だったらしい。ある意味、広報担当者の眠れるマインドを呼び覚ましたみたいだ。あたかも、あのエヴァが鼓動を打って起動し出すシーンのように・・。

↑これが、噂の『近大グラフィティ』だ!
❏アリのままリアリティで勝負する広報誌
それまでの学校案内パンフレットは、とにかく美しく仕上げることが「常識」だった模様。私は以前、理科室で撮影するシーンで開校当初のように殺風景に整理して欲しいと撮影担当の職員(今は転職)から注文を出され、「商業写真のような美しさを求めるなら、どうぞスタジオで撮影したらいかがですか?」と私は文句を言わざるを得なかった。そうでしょう。ここは学校なのだ。いくら見栄えよく撮れても、反って胡散臭い。
そうでなくても入学相談で学校を訪問、理科室へ回されてくる親子の表情には「騙されまいぞ!」との不安が私には見て取れる。商売のコツは決して、愛想や見た目でなく、正直で実直であるという話はよく聞く。身だしなみは必要。だが、過剰な装飾がイイのか、滲み出る誠意がイイのかは、ここで答えるまでもないであろう。誤魔化し始めた途端、砂上の楼閣なら崩壊し出すものだ。
❏秘話『近大グラフィティ』誕生の心意気
不思議な雑誌の表紙を返すと、見返り部に経緯が記されていた。とある日、志願者数で日本一を誇る近畿大学の関係者から、インディーズ系の「東京グラフィティ」編集部に「いっしょに近大グラフィティを作って貰えませんか?」との提案があったそうだ。つまり読者(在学生、時間差で志願者)参加型の雑誌のスタイルをそのままに、未経験な「学校案内」でコラボしよう・・との粋なプロポーザルだったのだ。
同誌編集長の鈴木俊二氏は、思わず「やるなぁ、近大。攻めてるなぁ・・」と実感したと言う。これは、宮崎駿監督が要所要所でプロの声優を敢えて使わず、異分野から声の出演を抜擢した、いわゆる「予定調和を壊す」行為に通じるセンスに通じる。無論、パンフレットを醜く作れと私は注文したつもりはない。しかし、これぞ勢いを秘めたグループならではの取り組みだと思う。
❏「妥協」から「傑作」は生まれない
安直や無難な「一丁上がり」で手を打つ・・そのような風土からは絶対、イノベーションは生まれようがない。今、教育界は唯一の正解を答えて満足するニセモノの段階から脱却しようと必死だ。そして、正解の解らない問いを立て、それに向かっていく中でホンモノの実力を獲得しようと、大きな成長をしようとしている。そんな渦中にいるという事実を忘れてはだめだ。
一時的に労力が大変そうに聞こえるかも知れない。それは近大(近畿大学)の最近の躍進振りをみたら、決して苦労なだけでなく、それを上回る見返りがもたらされることは明らかであろう。レバレッジ(テコ)の原理である。それまでの初期投資が、大きなリターンとなって帰ってくる。その間、目立った進捗は目に見えないかも知れない。しかし、実を結ぶまでに5年とか10年を要する種蒔きであるなら、始めるのが遅れれば、その分、収穫も遅れる。先日もブログで紹介したリバネスやマクロジェンの最近の大躍進は、10年前に今ある姿を見越して着手していた努力の賜物である。それを見習わない理由はない(竹内)。
追伸:「先生、質素だけれど、こういうパンフレットがいいよ。」と、大学が決まって不要になった専門学校のパンフレットを見本に手渡してくれた卒業生のHさん。「方々から通信制高校のパンフレットを取寄せてみたけれど、ルネのがイチバン豪華だったのは間違いないけれど、違和感を感じた。」と話してくれた在校生のMさん。学校案内のパンフレットは「こういうモノ」という定式化された「常識」がピクリとも動かなかったんだよ、ごめんな。ただ、今からは時代が大きく変わって行きそうです。過去の常識が非常識に。そして非常識こそ、これからの常識に。今は時代が変わる激流のまっただ中に、私たちはいるのだと感じています。遅れてしまったけれど、生徒が誇りに感じて貰える等身大(文字通りの意味ではない)の学校案内のパンフレットが大阪校から生まれそう。担当者には艱難辛苦だろうけれど、期待して待ちましょう。