❏決められたコトをこなす学校の終焉
評判のよい学校へ入学して、大きな会社に就職する。そして、そこにぶる下がって生きていく。よく考えてみれば、情けないことだと感じることであろう。しかし、誰もがバスに乗り遅れないように、我先にとなびいてきた。それは、世の中が安定し切っていたからであろう。しかし、これから先は保証の限りではない。第一、その良さそうに見えてきた結果、何が起こったか現実を直視すべきだろう。
学校は、授業や試験してナンボの世界ではない。そこで人が育って、ナンボのはずであった。確かに当初、良い学校と優秀な卒業生は相関していたのかも知れない。しかし、良い環境を求めて優秀な人も集まるだろうが、その名声にあやかろうとする"狡賢い"人も寄せつけてしまうだろう。そして、真に優秀な人こそラットレースから降りる。降りたまでは賢明な判断だが、問題はそれから先だ。
❏ドロップアウト救済から次の一手へ
私が今、苦心を強いられているのは、降りた者を見極めていく方法である。天外伺朗氏の著書ではないが、「ホンモノの不良」と「不良に化けた人材」を識別していかなければならない。鑑別手法に関しての知見は今のところないので、試行錯誤で進めている。正直、こちらも手作業であり、相手から裏切られることも、しばしばである。しかし、まず先入観を排除することからスタートをしている。
次に、私が手探りで探し出そうとしているのは、両者を見極め方の考案である。何しろ昨年からスタートした学校のコースであるため現在は動向の"観察"を主にしている。しかし、これだけでは余りにも受け身であるため、こちらから働き掛けて応答を見る段階へ進めたいと考え始めている。それが、学習者本人からプロポーザルをして貰う方法だ。これは学びの理念を意識して貰うことでもある。

↑プロポーザルを作成・提案するイメージ
❏提案を宣言することで動機づけに繋がる
人間の意識や行動が希薄で、地に足がつかない訳は、自分のことを自分で決める裁量権が少ないことに起因している可能性がある。小学校や中学校の段階であれば、ホントの基礎作りであるので仕方がないと思う。しかし、高校課程は今の受験主体のままでは本来の役割を果たしていないし、成長期に人が成長していく仕組みを活かしているとは言えないだろう。それゆえ志望大学へ首尾よく合格したとしても先で成長が起こる準備が整っているとは言えない。実態は、ほとんど運まかせなのではあるまいか? ここをテコ入れしていかないと、投じた時間と経費が真の意味で活かされないだろうと私は危惧している。
英米の大学院へ出願する際、博士課程であるからかも知れないが、研究する内容のプロポーザルをエッセイ(論旨が明確な小論文)という形式での提出を義務づけている。全く同じことを高校へ下ろすことを要望しようとは思わないが、高校生活をどう過ごしたいのか、どんな目的意識で勉学に励むことを期待するのか、このような動機づけを明確化させる手続きが導入されていて然るべきだと思われる(著名なスポーツ選手が小学校のうちに将来の夢を掲げている例もある)。
成績や進路で生徒を競争的に操る教育手法は過去のモノとし、学校の多様性を担保することで、生徒の自主性を引き出し、生徒同士がお互いの成長を讃え合える教育の実現を目指して行くべきだと切に思う。それは、決して不可能ははずはないのだ(竹内)。
評判のよい学校へ入学して、大きな会社に就職する。そして、そこにぶる下がって生きていく。よく考えてみれば、情けないことだと感じることであろう。しかし、誰もがバスに乗り遅れないように、我先にとなびいてきた。それは、世の中が安定し切っていたからであろう。しかし、これから先は保証の限りではない。第一、その良さそうに見えてきた結果、何が起こったか現実を直視すべきだろう。
学校は、授業や試験してナンボの世界ではない。そこで人が育って、ナンボのはずであった。確かに当初、良い学校と優秀な卒業生は相関していたのかも知れない。しかし、良い環境を求めて優秀な人も集まるだろうが、その名声にあやかろうとする"狡賢い"人も寄せつけてしまうだろう。そして、真に優秀な人こそラットレースから降りる。降りたまでは賢明な判断だが、問題はそれから先だ。
❏ドロップアウト救済から次の一手へ
私が今、苦心を強いられているのは、降りた者を見極めていく方法である。天外伺朗氏の著書ではないが、「ホンモノの不良」と「不良に化けた人材」を識別していかなければならない。鑑別手法に関しての知見は今のところないので、試行錯誤で進めている。正直、こちらも手作業であり、相手から裏切られることも、しばしばである。しかし、まず先入観を排除することからスタートをしている。
次に、私が手探りで探し出そうとしているのは、両者を見極め方の考案である。何しろ昨年からスタートした学校のコースであるため現在は動向の"観察"を主にしている。しかし、これだけでは余りにも受け身であるため、こちらから働き掛けて応答を見る段階へ進めたいと考え始めている。それが、学習者本人からプロポーザルをして貰う方法だ。これは学びの理念を意識して貰うことでもある。

↑プロポーザルを作成・提案するイメージ
❏提案を宣言することで動機づけに繋がる
人間の意識や行動が希薄で、地に足がつかない訳は、自分のことを自分で決める裁量権が少ないことに起因している可能性がある。小学校や中学校の段階であれば、ホントの基礎作りであるので仕方がないと思う。しかし、高校課程は今の受験主体のままでは本来の役割を果たしていないし、成長期に人が成長していく仕組みを活かしているとは言えないだろう。それゆえ志望大学へ首尾よく合格したとしても先で成長が起こる準備が整っているとは言えない。実態は、ほとんど運まかせなのではあるまいか? ここをテコ入れしていかないと、投じた時間と経費が真の意味で活かされないだろうと私は危惧している。
英米の大学院へ出願する際、博士課程であるからかも知れないが、研究する内容のプロポーザルをエッセイ(論旨が明確な小論文)という形式での提出を義務づけている。全く同じことを高校へ下ろすことを要望しようとは思わないが、高校生活をどう過ごしたいのか、どんな目的意識で勉学に励むことを期待するのか、このような動機づけを明確化させる手続きが導入されていて然るべきだと思われる(著名なスポーツ選手が小学校のうちに将来の夢を掲げている例もある)。
成績や進路で生徒を競争的に操る教育手法は過去のモノとし、学校の多様性を担保することで、生徒の自主性を引き出し、生徒同士がお互いの成長を讃え合える教育の実現を目指して行くべきだと切に思う。それは、決して不可能ははずはないのだ(竹内)。