❏能力と地位(あるいは、合否判定)のバランス
私は圧倒的に能力(個人的には、「才能」という言葉を好む)を欲するタイプであるが、世の中には案外、地位(あるいは、合否や採否などの結果)を重んじる人が多いように感じている。

どうしてなのか私は気が知れない。なぜなら能力不足のままで地位を得たり、大学に合格したり企業に採用されても本人は苦しいだけだと思う。「地位が人をつくる」という言葉もあろうが、これはその人物に相応の準備ができている場合に限られるはず。いざ苦境に立てば、人は誤魔化す方向へ流れていく。

私はヒラの都庁職員を経て無職の身から、ある日、教授に採用され、5年間のうちに国際交流室長や学科長(分野代表)の職も回ってきたが、全く困ることはなかった。過少評価されてきたから、能力に余裕は十分にあった。日本では不遇な時代が長かったので、今さら威張る気もサラサラなく、自分が使える球種を選んで自由自在に投げた。ただし、狡賢く投げたつもりはない。いつだって苦肉の策だったけれど結果的に楽しめたし、今ではホロ苦くも良い想い出だ。時効だろうし、いくつかエピソードとして紹介したい。


↑私が折衝した2箇所の海外の大学

❏海外の大学の副学長を相手に私が投げた球
中国の大学の副学長は日本や世界を相手に40数か国の交流先を持っていた。だからロータリークラブが口利きで進めてきた高専との交流も相手からは「高校」相手だと見なされていた。だから元大学教授の高専の校長が相手(副学長)にメールを打っても返事は梨の礫だった。恐らく悪気はなかったのだろうが、優先順位の面で高専が最下位だったことは事実なのだろう。

私はある秘策で、高専を最上位に据え替えた。私が放った球は次のような「危険球」であった。
「先生は日本に期待し、日本を信頼し、日本人と同等になるまで日本語と日本文化を身につけてきましたよね。私には手に取るように解ります。でも、ガッカリしませんでしたか? だって日本人である私がガッカリして、一度は国を捨て、英国に移民までしたのです。でも、私は国籍を変える段になって突然、”日本に生まれた責任”を感じ、再び日本のために日本人として日本へ帰ることを決めたのです・・」

以来、1週間余を経て、長い沈黙を破って回答メールが届いた。相当、堪えた様子だった。その時から最下位だった高専は最上位に浮かび上がったのだ。なぜか? そんな危険球を投げてくる相手など、世界広しと言えども、私ぐらいしかいなかっただろうから。

❏転勤先で陽の目をみた私の学費値切り交渉
こんな私だから国際交流室長時代、私は先方の大学の教務担当副学長に対し、姉妹校なのだから学費を減免して欲しい旨の値切り交渉まで試みた。当時、他大学も視野に調査し、米国の大学はどこも財政的に逼迫している社会状勢は聞かされていた。スコットランドに祖先を持つその副学長は、私に対し黙殺を決め込んできた。これは英国でも経験してきたので意に解さなかったが。

しかし、自己都合で大阪校へ移って、高校生を1名、試しに短期研修に出したい・・という私の打診に対し、話もまとまった終盤になって、突然、次のような文言のメールが舞い込んだのだ:
"is happy to waive the tuition and application fees for her"
私は意味を察知したものの、念のため友人の英国人に確認してみたのが、以下の助言であった:
Yes, you are correct in thinking that the school will not charge the usual fees for your female student. "Waive" means to relinquish or not claim, and the expression to "Waive the fee" is often used to describe free admission to a school, college, university, or even to a concert or building (waive the charge). In fact, the expression may be used in almost any service situation.

どうも私の値切り交渉はずっと生きていて、私が前にいた高専ではなくて今の私に向けて返ってきたのだと感じた。恐らくこんな交渉をしてきた人間は後にも先にも私ぐらいだったのだろう。彼らは私が所属していた国立高専でなく、私という存在を見てくれていたことを実感したのだ。副学長がさり気なく告げた言葉は忘れない。"I like you." これを「変った奴だ。」くらいの響きに、私は解釈している。

❏ホンキでない方が相手に対しては失礼だ
私は国際交流室長の職を得て(恐らく交渉に当たるため教授の地位も与えられ)全力を尽くしてきた。私の立ち居振る舞いは時に大いに失礼であり、常識を破ってきたかも知れない。しかし、いつもホンキで対峙してきた。苦肉の策で知恵を絞ってきた。この気持ちが日本人以上に外国人には通じてきたことが、私は嬉しい。無論、日本人にも心ある人はいる。しかし、昔の日本人はもっとずっと真摯で熱く筋を通してきたはずだ。日本人が日本人として情けなくなったと思う。

今一度、同朋に問い掛けたい。ホンキ以外の他にどんな生き方があるのか・・と。人は動物であれ、植物であれ、他の生き物を殺めなければ生きて行けない存在である。だから、日本人は食事の時、「(あたなの生命を)戴きます。」なのだ。だから、ホンキで生きてくれなきゃ、地球は困るんだよ。ホンキで生きてくれなきゃ、そんな人間は無用の存在になってしまうのだよ。この国の未来は、一人ひとりの肩に掛かっているのだよ・・と、そう告げていきたい(竹内)。

付記:私は包装紙やパッケージをデザインしている人の存在を知っているし、その存在の価値を否定しているのではありません。そういう趣旨の記事ではありませんので、どうか悪しからず。