❏実用英語の舞台裏
役者を使いまわして映画ができているように、実際の英文も単語や熟語、特定の表現を、さり気なく繰り返し使っているのが実態です。鉛の活字で製版していた頃など、文字通り活字からして「使い回し」していたはずです。

言葉だけに限りません。私たちの身体や取り巻く環境も、構成されている材料の元素が形を変えて、作り変えられては循環しています。その世界観で言葉は人と人のコミュニケーションの道具となり、世の中を巡っています。多くの場合、既にあるモノを要素に分解し、再構築することが多いのです。知育玩具のレゴ・ブロックも同様ですが、余りに少なければ何も作れませんが、最少量のパーツが揃えば、使い回すことで、ある程度のことができるようになります。この現実に着目すべきです。

❏ポスターが1枚できれば、何枚でも作れる
逆に最初の1枚も作らなければ、永遠に1枚も作り出せません。何もできないでいると、そのうち「自分はできない」という意識が定着化してしまいます。これが無意識に「固定観念」を形成していくのでしょう。

下の画像は、私の前任校の教員室のドアの壁に貼り出した国際シンポジウムに出展したポスターです。ポスターセッションは1回の使用では勿体ないので、展示して長く利用することがあります。

 
↑研究発表で使ったポスターの再利用例

刑事モノのTVドラマで「1人殺せば、何人殺すも同じだ」などの物騒なセリフを耳にしますが、英語で最初の1枚のポスターを書けたなら何枚でも書けます。なぜなら話題とするコンテンツが異なるだけで、そこで使う英語の表現や単語は大差ありません。要は、実用英語という乗り物は同一で、そこに載せるモノが異なるだけだからです。

これはポスターに留まりません。論文もコンテンツを運ぶための乗り物です。内容が大切だから乗り物としての書き方の書式(フォーマット)や個々の表現は同業者が共通して使う言葉でなければなりません。ここで大切なのは、英語として正しいか否かではなく、その分野で流通している英語表現や専門用語が使われているかが肝心なのです。このことから一生涯、英語に捧げる英語科教員とて他人の分野では英語論文を書くことができません。能力の問題ではなく、分野ごとに使われる用語や表現が異なるのでオールマイティの英語は事実上、あり得ないのです。

❏乗り物(英語)よりもコンテンツ(内容)
英語ネイティブは、外国人の英語が上手だろうが下手だろうが余り気にしません。無論、正確で読みやすいことは大切ですが、それは相手に対する「思いやり」だからです。あくまでも重視されるのは英文で書かれているコンテンツです。

だから私たち末端の英語ユーザは、一刻も早く「乗り物」を手に入れ、使うべきです。そこで、私は研究発表会で使うポスターを今後、高校生たちに英語で書く方針にしました。私が担当するスーパーサイエンスコースでの、英語学習の礎(いしずえ)とする考えです。

随分と偏っていることは承知の上です。しかし、このまま放置しておいても、日本の高校生の英語環境が改善される見込みはゼロだと見ています。最初の突破口を築くか否かが分水嶺であり、偏りなどいくらでも後から補正ができるからです。この突破口がなかったためハロルド・パーマー博士以降、1世紀近くも日本国民の英語運用力は余りにも長く低迷し続けてきました(竹内)。