❏故意に"未完成のまま"与える教育
完成されてしまった教材をどれほど読み込んでも、能力を引き出す効果はありません。静止画です。だから私は、未完成のまま生徒に提示します。日本の学校教育では、ここが工夫されていません。何となく完成度の高い教材を与えれば良い・・あるいは問題練習をさせれば良い・・と思いがちです。
未完成の状態が、完成していくまでのプロセスで何らかの「動き」が起こり、「動画」となります。この状態で生徒単独か、それが無理なら教員がガイドした時にのみ「学び」が起こります。「探究学習」や「創作学習」に学習者を成長させる効果があるのは、そこにカラクリが隠されているからです。完成してない状態が完成していく様を見せ、体験させたら、喜びを感じ、それを続けたくなるのは当然過ぎることです。根端細胞のように分裂が活発な「成長点」を持っているようなものです。

↑細胞分裂が盛んな根端組織
❏受験勉強は成長を止める"ストップ・コードン"
正反対に、受験合格への「選抜」を前提とした受験勉強には、一生に亘って人を成長させていくような「発動の仕組み」は備えていません。だから教員デザインとしては失敗作と言えます。だから合格直後が学力のピークで、その後、衰退の一途を辿ります。何しろ「合格することが目標」なのですから、目的を果たした後、成長が停止するのは当然過ぎる帰結です。何しろ強制停止させる命令コード(暗号)が内装されているのですから、停止しない方が不思議です。
陸上競技の短距離走でも1位を確信した瞬間、脳は筋肉に停止命令を出してしまうと言います。そのようなカラクリでゴールを切れなかった選手が実在するのです。受験勉強は、どう正当化してみても一生を学び続ける"生きる力"には化けません。いわば、間に合わせの勉強ごっこです。それでも勉学への"動機づけ"で"努力する"ことを学ぶ手段だと言い張るのなら、随分と貧弱な考え方だと私は言わざるを得ません。人生最大の成長期に遭遇している若者に対する心ある措置でしょうか? 私は受験体制を正当化する姿勢には、大いに欺瞞を感じています(竹内)。
付記:
次の記事で、どうやって未完成を完成させるプロセスを見せていくのかを具体的に考えていきましょう。
完成されてしまった教材をどれほど読み込んでも、能力を引き出す効果はありません。静止画です。だから私は、未完成のまま生徒に提示します。日本の学校教育では、ここが工夫されていません。何となく完成度の高い教材を与えれば良い・・あるいは問題練習をさせれば良い・・と思いがちです。
未完成の状態が、完成していくまでのプロセスで何らかの「動き」が起こり、「動画」となります。この状態で生徒単独か、それが無理なら教員がガイドした時にのみ「学び」が起こります。「探究学習」や「創作学習」に学習者を成長させる効果があるのは、そこにカラクリが隠されているからです。完成してない状態が完成していく様を見せ、体験させたら、喜びを感じ、それを続けたくなるのは当然過ぎることです。根端細胞のように分裂が活発な「成長点」を持っているようなものです。

↑細胞分裂が盛んな根端組織
❏受験勉強は成長を止める"ストップ・コードン"
正反対に、受験合格への「選抜」を前提とした受験勉強には、一生に亘って人を成長させていくような「発動の仕組み」は備えていません。だから教員デザインとしては失敗作と言えます。だから合格直後が学力のピークで、その後、衰退の一途を辿ります。何しろ「合格することが目標」なのですから、目的を果たした後、成長が停止するのは当然過ぎる帰結です。何しろ強制停止させる命令コード(暗号)が内装されているのですから、停止しない方が不思議です。
陸上競技の短距離走でも1位を確信した瞬間、脳は筋肉に停止命令を出してしまうと言います。そのようなカラクリでゴールを切れなかった選手が実在するのです。受験勉強は、どう正当化してみても一生を学び続ける"生きる力"には化けません。いわば、間に合わせの勉強ごっこです。それでも勉学への"動機づけ"で"努力する"ことを学ぶ手段だと言い張るのなら、随分と貧弱な考え方だと私は言わざるを得ません。人生最大の成長期に遭遇している若者に対する心ある措置でしょうか? 私は受験体制を正当化する姿勢には、大いに欺瞞を感じています(竹内)。
付記:
次の記事で、どうやって未完成を完成させるプロセスを見せていくのかを具体的に考えていきましょう。