高専で物理学を教えている教員から聞いた話であるが、成績不振者を追跡調査した結果、該当する者に共通していたのは、塾に教わりに行っていたのだと言う。本来、成績をあげるため塾へ教わりに行ったのだろうが、まったく逆効果なのである。
世の中のどれだけの人が、勉強が頭を悪くする可能性があることを理解できているのだろうか?良く問題が解けるようになると成績が良くなったと錯覚している人が後を絶たない。多くの場合、見掛けの成績が向上したように「見えるだけ」で、ホントに頭が良くなることとは別である。
いわゆる「解き方」を機械的に覚えて問題が解けるようになることと、ホントに要点を理解して問題が解けるようになることは別モノである。この違いが、生徒も保護者も、酷いと教員も分からない。ただ「勉強」さえしていれば良いことをしていると勘違いしている者が、子どもでも大人でも多い。
その結果、頭の中の血の巡りが悪くなるだけならともかく、その延長線上で、やる気を喪失しまっているケースが非常に多い。頭を悪くする作業を強いられているのだから逃避することは正当防衛であるが、勉強しないことに罪悪感を抱いている者の方が圧倒的に多い。どうしてしまったのだろうか?
頭の回転を悪くして血の巡りを滞らせているだけならまだしも、その先で心を殺してしまうことが多い。何をしたら良いのか分からない。何に興味を持てるか分からない。どうしていいか分からない。そのままでは、行きつく先は自らを殺めるか他人を殺めるか、死するように生き続けるか・・しかないであろう。
スーパーサイエンスコースでは、授業らしい授業をしていない。1回、飛び切りのネタを試みたことがあるが、生徒の心に届かないのを途中で察知して即、講義を中断した。このブログに記録がある。私の授業を行わない方針は、こうして生徒を前にした実験で実証した上で「二度とやるまい」と決定している。机上で理屈をこねくり回した結果ではないのである。
講義なんかウンザリしている。ICT技術の粋を駆使した映像コンテンツも早晩、辟易とされて効力を失っていくのは火を見るより明らかである。要するに、飽きられてしまったら打ち止めだ。抗生物質の耐性菌が蔓延した状態と変わらない。
だが新鮮な驚きと成長する実感が持てる教育に出会えば、目は輝く。スーパーサイエンスコースの生徒でも最初から目を輝かしていたのではない。目が輝くよう工夫を採り入れたからである。今年度、導入したことは、①アマゾンに書評を書く、②ピタゴラスイッチの動画を撮影したこと(理科の若手教員の発案)、③短編小説を書く(国際協力の経験のある数学・情報処理の教員の提案)など・・がある。そして現在、各種のコンテストやコンクール、科学賞や研究発表会を目指した活動を推進している。つまり勉強そのものを目的にせず、何か大きな目標を達成する過程を通じて「学び」が起こるように設計しているのだ。
結果的に、生徒に「やる気スイッチ」が入り、能力はブーストされる。一度、ブーストされた脳は止まることを知らなくなるほど潤滑が良くなる。それを私と生徒たちは経験している。逆に、「やる気スイッチ」を切ってしまった生徒は、燃えない焚き木のような状態である。心を殺したのは既存の学校であり、私のコースはいささか「再生工場」の趣きなのである(竹内)。

↑ やる気スイッチのオン・オフ
世の中のどれだけの人が、勉強が頭を悪くする可能性があることを理解できているのだろうか?良く問題が解けるようになると成績が良くなったと錯覚している人が後を絶たない。多くの場合、見掛けの成績が向上したように「見えるだけ」で、ホントに頭が良くなることとは別である。
いわゆる「解き方」を機械的に覚えて問題が解けるようになることと、ホントに要点を理解して問題が解けるようになることは別モノである。この違いが、生徒も保護者も、酷いと教員も分からない。ただ「勉強」さえしていれば良いことをしていると勘違いしている者が、子どもでも大人でも多い。
その結果、頭の中の血の巡りが悪くなるだけならともかく、その延長線上で、やる気を喪失しまっているケースが非常に多い。頭を悪くする作業を強いられているのだから逃避することは正当防衛であるが、勉強しないことに罪悪感を抱いている者の方が圧倒的に多い。どうしてしまったのだろうか?
頭の回転を悪くして血の巡りを滞らせているだけならまだしも、その先で心を殺してしまうことが多い。何をしたら良いのか分からない。何に興味を持てるか分からない。どうしていいか分からない。そのままでは、行きつく先は自らを殺めるか他人を殺めるか、死するように生き続けるか・・しかないであろう。
スーパーサイエンスコースでは、授業らしい授業をしていない。1回、飛び切りのネタを試みたことがあるが、生徒の心に届かないのを途中で察知して即、講義を中断した。このブログに記録がある。私の授業を行わない方針は、こうして生徒を前にした実験で実証した上で「二度とやるまい」と決定している。机上で理屈をこねくり回した結果ではないのである。
講義なんかウンザリしている。ICT技術の粋を駆使した映像コンテンツも早晩、辟易とされて効力を失っていくのは火を見るより明らかである。要するに、飽きられてしまったら打ち止めだ。抗生物質の耐性菌が蔓延した状態と変わらない。
だが新鮮な驚きと成長する実感が持てる教育に出会えば、目は輝く。スーパーサイエンスコースの生徒でも最初から目を輝かしていたのではない。目が輝くよう工夫を採り入れたからである。今年度、導入したことは、①アマゾンに書評を書く、②ピタゴラスイッチの動画を撮影したこと(理科の若手教員の発案)、③短編小説を書く(国際協力の経験のある数学・情報処理の教員の提案)など・・がある。そして現在、各種のコンテストやコンクール、科学賞や研究発表会を目指した活動を推進している。つまり勉強そのものを目的にせず、何か大きな目標を達成する過程を通じて「学び」が起こるように設計しているのだ。
結果的に、生徒に「やる気スイッチ」が入り、能力はブーストされる。一度、ブーストされた脳は止まることを知らなくなるほど潤滑が良くなる。それを私と生徒たちは経験している。逆に、「やる気スイッチ」を切ってしまった生徒は、燃えない焚き木のような状態である。心を殺したのは既存の学校であり、私のコースはいささか「再生工場」の趣きなのである(竹内)。

↑ やる気スイッチのオン・オフ