かつて東京上野の科学博物館で特別企画展が開催された『グレートジャーニー人類の旅』(2013年)を英文ライティング指導で取り上げようとしたところ、ネット検索しても日本語サイトしかヒットせず、首を傾げて当惑しました。こういう場合、キーワードが"日本限定の場合です。

人類の祖先をアフリカに辿るミトコンドリア・イブ説から辿ろうとしたら英語圏では"The Human Journey"と呼ばれていることが判明。National Geographicサイトに"The Genographic Project/The Human Journey: Migration Routes"と題した立派な英語サイトを知りました:
https://genographic.nationalgeographic.com/

ここに英語と日本語の性格の違いを感じます。つまり英語では、「人類の歩いてきた旅」とそのまま真実に忠実に表現していますが、日本語では「偉大な旅=人類の足跡」という図式で全体をシンボル化して、イメージを優先する表現となっています。英語国民を相手に、グレートジャーニーと言っても恐らく相手に伝わらないことでしょう。このような英語っぽい日本語には注意しないとなりません。


↑『呉高専だより64号』(2011年)から抜粋

昨日は、私が英文を打っていく様子を生徒へ見せ、思考がシンクロしていく感覚を体感してもらいました。今日は、生徒にキーボードへ向かって自分で打ってもらいながら白紙に英文が出来上がっていく様子を体験してもらいました。この方法でのみ英文の次に来る語句を予測する力が誘導されます。

加えて今日、確認できたのは英語のスペリングを的中させていくセンスです。スペルは最初から覚えなくても、使いながら身につけていくことは不可能ではありませんし、むしろ自然な習得法だと言えます。

英語は一つの教科として一から積み上げて行かないと習得できないように錯覚をさせられている生徒が多いかと思います。しかし、実際には英語を「使いながらモノにしていく」英語学習法が優れているのに決まっています。世界中がそうして道具として英語を習得していく中、日本人だけが教科に拘泥しているがため取り残されている感じがして、私は大いに懸念しているのです。

昔は、なるほど高価な英語教材を揃えなければなりませんでした。しかし、今の時代、ネット環境にアクセスさえできれば、PCやスマホで使える無料サイトや安価なアプリに事欠きません。もう英語難民を生み出すことを止め生徒たちを解放し、自由なスタイルで学ばせてあげて欲しいものです。第一、学校英語は世界で流通している標準英語とギャップもありますし、要は折角の読みやすい完成した原典の「借り物レース」して中抜きしたり、配列順を変えたり、わざわざパズル化して生徒を試す行為が、果たして真の英語力なのでしょうか? そして何よりそんな小細工で日本人の英語力が伸びているのでしょうか? 逆に日本人の英語力が向上でもしたら外に目が見開いて不都合だから、そうなるのを阻止したいのでしょうか? とても奇妙に感じます(竹内)。