私が最初に日本の英語利権に気づいたのは大学生の頃であった。当時は大学1、2年に「教養部」が残り、これは4年間の学部教育が、教養課程(1・2年)+専門課程(3・4年)で構成され、いわゆる前者が「旧制高校」、後者が「旧制大学」を引き継いだ名残りであった。いわゆる東大教養学部とか広島大学の総合科学部は、教養部が学部昇格した名残りであると言える。
教養課程で重視されたのは語学で、第一外国語(通常、英語)と第二外国語(仏語、独語)が必修であった。当時、特定の分野(海洋学や生態学など)で古典的文献に当たると仏語や独語であったが、後に世界中で英語が標準言語となって行くのだった。今や第二外国語は、特殊な用途や英語の平易さを実感するためにあるとでも言ったら皮肉が過ぎるだろうか?
私は大学入学時に配布された「履修手引」の末尾にリストアップされている教授陣の分野別の人数をカウントしたことがあった。突出していたのは英語科教員(教授、助教授)の多さであった。英語科教員の大半が、英文学を専攻していた。つまり、「英語科=英文学」と言っても過言ではなかった。
大学の教養課程の教授や助教授として教鞭をとっていれば、専門課程の、例えば遺伝学や発生学の教授や助教授と同じく人頭とカウントされる。私は大学に入りたての1年生でも「おかしくなくね?」と感じた記憶がある。扱っている教材は、教養課程用に編纂された英語教材で、多くの場合、巻末に注釈が入った冊子で、私は「音源がある教科書を選んで下さい。」と教員に最初の授業でお願いし、本郷界隈に多い出版社を訪ねては、音源教材(当時はカセットテープが主流)を買い求めたものだ。

↑柿の木坂の上に大学の敷地があった
今思うと、この音源教材は学習者用というより教員用だったのかも知れない。私は高専では4年生と5年生(大学の1、2年生に相当)の「工業英語」を担当した。最初は自分が書いた英文エッセイを素材としてきたが、私自身が飽きてきて科学を扱った英語科の教科書を選定することにした。そして教務係を通じ、教科書の発注をしたのだ。すると、私の周囲で大騒ぎになっていたのを後になって知った。
何が問題になったかと言うと、「英語科教員でもない者に、教科書の解説書や教員用の録音CDを渡して良いものか」と騒動になっていたらしいのだ。つまり誰かが”なりすまし”て不正にアンチョコを手に入れようとしたのではないかと疑われた形跡がある。どうやら私は悪気もないのに、英語教員たち(女性教員だけではないが)の「秘密の花園」へドスドスと足を踏み込んでしまったらしいのだ。
断っておくが、高専では英語科教員の資格のない者が「工業英語」の教鞭に立つこと自体は不正行為でない。グローバル化時代に機械・電気・土木・建築などの専門分野の技術者が英語を使えるようになる路線こそ必要不可欠なのだ。しかし、多くの場合、担当教員が自分自身で英語で書いた専門論文を素材にするのが一般的であった慣習に反し、私がより汎用性の高い科学技術を話題にした英語科教員向けの理系英語の教科書を用いようとした行為が異例であったようだ。
ともかく私が選択した路線の狙いに対する誤解は溶け、私は不審な「花園」侵入者からお得意様扱いに転じた。英語教科書を発行する出版社は、日本全国に分散している英語科教員から教科書としての採択を取りつけることを競っている業界で、私からも見えない「秘密の花園」であったのだ。
私は今のように文科省が「国際バカロレア」を推進するようになる以前から、これらの出版社に対し、国際バカロレアの理念に沿う「日本発のオリジナル教科書を今から制作していかないか」と誠心誠意に提案してみたものの当時、全く相手にされなかった。どうも時代の先を読む目はなかったようだ(竹内)。
追伸:
大学で教わった英語教員の中で、小池滋先生だけは記憶に残る方でした。大の英国びいき、かつ鉄道が趣味の域を通り越して、そちらがご専門の様子でした。このような大家になると、英語も教科から道具へと転じた印象です。私の目から見ても、専門性を育む英語科教員の存在なら十分に納得行くものでした。野田阪神駅に英国風喫茶店があり、店内に小池先生の著書が収集されています。これからの英語科教員には、小池先生に倣って「英語+専門分野」を持って戴きたいものです。大半の英語を「教わる側」の日本人にとって、英語を「教える側」の教員になることが終着点ではないのですから、英語科教員を単に「再生産」していくだけの旧式の英語教育など、既に時代錯誤になっていると思います。
教養課程で重視されたのは語学で、第一外国語(通常、英語)と第二外国語(仏語、独語)が必修であった。当時、特定の分野(海洋学や生態学など)で古典的文献に当たると仏語や独語であったが、後に世界中で英語が標準言語となって行くのだった。今や第二外国語は、特殊な用途や英語の平易さを実感するためにあるとでも言ったら皮肉が過ぎるだろうか?
私は大学入学時に配布された「履修手引」の末尾にリストアップされている教授陣の分野別の人数をカウントしたことがあった。突出していたのは英語科教員(教授、助教授)の多さであった。英語科教員の大半が、英文学を専攻していた。つまり、「英語科=英文学」と言っても過言ではなかった。
大学の教養課程の教授や助教授として教鞭をとっていれば、専門課程の、例えば遺伝学や発生学の教授や助教授と同じく人頭とカウントされる。私は大学に入りたての1年生でも「おかしくなくね?」と感じた記憶がある。扱っている教材は、教養課程用に編纂された英語教材で、多くの場合、巻末に注釈が入った冊子で、私は「音源がある教科書を選んで下さい。」と教員に最初の授業でお願いし、本郷界隈に多い出版社を訪ねては、音源教材(当時はカセットテープが主流)を買い求めたものだ。

↑柿の木坂の上に大学の敷地があった
今思うと、この音源教材は学習者用というより教員用だったのかも知れない。私は高専では4年生と5年生(大学の1、2年生に相当)の「工業英語」を担当した。最初は自分が書いた英文エッセイを素材としてきたが、私自身が飽きてきて科学を扱った英語科の教科書を選定することにした。そして教務係を通じ、教科書の発注をしたのだ。すると、私の周囲で大騒ぎになっていたのを後になって知った。
何が問題になったかと言うと、「英語科教員でもない者に、教科書の解説書や教員用の録音CDを渡して良いものか」と騒動になっていたらしいのだ。つまり誰かが”なりすまし”て不正にアンチョコを手に入れようとしたのではないかと疑われた形跡がある。どうやら私は悪気もないのに、英語教員たち(女性教員だけではないが)の「秘密の花園」へドスドスと足を踏み込んでしまったらしいのだ。
断っておくが、高専では英語科教員の資格のない者が「工業英語」の教鞭に立つこと自体は不正行為でない。グローバル化時代に機械・電気・土木・建築などの専門分野の技術者が英語を使えるようになる路線こそ必要不可欠なのだ。しかし、多くの場合、担当教員が自分自身で英語で書いた専門論文を素材にするのが一般的であった慣習に反し、私がより汎用性の高い科学技術を話題にした英語科教員向けの理系英語の教科書を用いようとした行為が異例であったようだ。
ともかく私が選択した路線の狙いに対する誤解は溶け、私は不審な「花園」侵入者からお得意様扱いに転じた。英語教科書を発行する出版社は、日本全国に分散している英語科教員から教科書としての採択を取りつけることを競っている業界で、私からも見えない「秘密の花園」であったのだ。
私は今のように文科省が「国際バカロレア」を推進するようになる以前から、これらの出版社に対し、国際バカロレアの理念に沿う「日本発のオリジナル教科書を今から制作していかないか」と誠心誠意に提案してみたものの当時、全く相手にされなかった。どうも時代の先を読む目はなかったようだ(竹内)。
追伸:
大学で教わった英語教員の中で、小池滋先生だけは記憶に残る方でした。大の英国びいき、かつ鉄道が趣味の域を通り越して、そちらがご専門の様子でした。このような大家になると、英語も教科から道具へと転じた印象です。私の目から見ても、専門性を育む英語科教員の存在なら十分に納得行くものでした。野田阪神駅に英国風喫茶店があり、店内に小池先生の著書が収集されています。これからの英語科教員には、小池先生に倣って「英語+専門分野」を持って戴きたいものです。大半の英語を「教わる側」の日本人にとって、英語を「教える側」の教員になることが終着点ではないのですから、英語科教員を単に「再生産」していくだけの旧式の英語教育など、既に時代錯誤になっていると思います。