通信制高校には、学校や家庭での日常生活にハンデを抱えた生徒らが、最後の寄り処として選択してくる。そのため、ここへ到達するまでに重症の古傷を負っていることが多い。私が重症と言うのは"手の施しようがない"という意味ではない。長い時間を経て本人自ら、今までの状態のままの存在であり続けたい・・と感じてしまう感覚が最大の障害なのだ。

物理学に「慣性の法則」があるように、心理学にも似たような作用があるようだ。これを説明するため「居心地良さ」という意味で、苫米地英人氏はストレスや不安を生じないコンフォート・ゾーン(comfort zone)という心理学の概念を導入し、解説してくれた。良かれ悪しかれ、現状から変わらないことで心理的な負担を軽減させる作用があることを示唆する。しかし、その安全装置の素振りをする「破壊装置」があるがため衰退ないし滅亡を余儀なくされるケースが後を絶たたない。個人でも組織でも変わらないで現状維持のまま衰退してしまう。生きたまま危機を察知することもなく茹だるという"茹でガエル"の逸話は、その端的な例だと言えよう。


  ↑苫米地英人大全1(2014年3月)

これを全く別な角度から見てみよう。生き物は生息環境と一体化して存在する。動物である人間も、その例に漏れない。喩えるなら河川の上流域に生息するイワナを下流域に放てば生存できない。逆に、下流域のコイを上流域に移植しても水温や餌などの関係で生存は苦しいであろう。かくも個々の生き物には生息に適した環境との密接な対応関係がある。最適の生息環境は、生物の種類によって異なる。適合する生息環境が実際、あるにはあるのだ。だから階層移動には困難が伴う。

現状から上向きのベクトルで成功に近づく感覚は、恐らくこんな感じであろう。「ここまで頑張ってきたのだから、もはや途中で辞めることはできない。」で結局、成功に至る道へ繋がる。これは勉強のみならず、スポーツや芸事など何でも結構である。思い返せば心当たりのある者は多いはずだ。これが成長し、成功へと続く道である。

逆に、下向きのベクトルで、衰退さらに破滅への道を歩む感覚は、こんな感じなのではないかと案ずる。今まで散々、苦労に堪え「ここまで辛抱してきたのだから今さら降りるワケにはいかない。」なのである。頭では、その道を辿り続けることが損であるとわかっても、逆らえない心理状態は、今までの苦労や我慢を捨てがたいものだと錯覚しているからであろう。「幸せ恐怖症」(岩月謙司氏など)とも言える。この術中に嵌ってしまうケースは、残念ながら枚挙にいとまがない感がある。

高々10cm程度の水深でも鼻が水に浸れば溺れてしまう事故もあると聞く。冷静沈着に考えれば、足が立つにも、顔があげれば良いにも拘わらず気づかないこともあるそうだ。このような状況にいる人に有効なアドバイスは、恐らく「我に返らせる」ことであろう。

我に返るとは、自己に忠実で自分に嘘をつかず、実体のない「世間の目」や責任を負わない「他人の目」を気にしないことに限るであろう。最後は己との闘いで決まることだと思うが、教育者としては最大の力を添えたい。たとえ最後は当事者である本人の問題だとしても・・(竹内)。