今日は、近畿にある私立大学の入試説明会(大阪会場)へ行ってきました。申込時に問い合わせしたい旨を伝えてありましたので、最後に個別相談に応じて貰えました。以下は、あらましです。

大阪校のスーパーサイエンスコースでは「探究学習」を標榜しています。自宅で学習を進められるので、通学コースでは好きな学びが実現します。畢竟、「探究学習」は順繰りに個別指導していく体制です。対する通常の「一斉授業」は生徒を同期させて扱うため「成長」を引き出す仕組みが備わっていません。これは教育の「デザイン」の問題です。対する「個別指導」は順繰りであるため「待ち時間」や「事後放置」の期間が否応なく入り込みます。「手を掛けない」期間で、皮肉にも「成長」が起こります。ここを気づけない教育者は多いものです。教員も生徒も「盲点」になっているからだと思います。「教える-教わる」習慣が染みついてしまっているからです。「教えない」状態や「教わらない」状態に、違和感を持つのでしょう。

では、戸板に水のごとく説明し、試験で満点を採れば、学んだことになるのでしょうか?  教育は実は、この状態で長いこと凍結されてきました。私は、この空白期間を教育「氷河期」と呼びたいほどです。 

その膠着状態に「楔」を打ち込める糸口が、私はAO入試に隠されていると睨んでいました。が、世間はAO入試を「筆記がない安直入試」と捉えています。何という認識不足なのでしょう。人が人を選ぶべきで、点数に人を選ばして、どうするのでしょうか? 点数が選んだ人を、人が教えるのですか? 教育者が人を選ぶ鑑識眼も磨かずして、それで最高学府だと誇れるのでしょうか?

私が期待してきたAO入試ですが、それを高い水準で実現していると見た大学と本日、遭遇しました。朝、受験生は野帳(フィールドノート)などを受け取り、教員と一緒に野外へ出ます。その際、資料を読み取ったり、現地の様子を観察しながら野帳へ記入していきます。そして午後、大学へ戻って記載を下に自筆でレポートに仕上げるという一連の作業だそうです。無論、労力は掛かりますが、確実に教員が受験生の「適性」も「能力」も把握できるでしょうし、教員も「このような学生を迎えて是非、教えてみたい」という気持ちになれるはずです。これこそ、欧米のアドミッションズ・オフィス(AO)入試の醍醐味です。

残る問題は、1点のみ。果たしてこのような実地試験に耐えられるような優れた生徒を高校側は育て、送り出せるのでしょうか? 私がルネサンス大阪高校で育てたい学習者像は、このような大学人からの期待に応えられる真の人材です。なぜ何処に何人を進学させたかが”高等学校”の役割だったのでしょう?「失われた20年(教育絡みで30年)」が日本に生まれたのも、当然の帰結だったのではないでしょうか?

付記:本日、筆者はAO入試の方式を尋ねましたが、それは本コースの「探究学習」のカリキュラムを予め充実させていくためであり、該当する受験生が本校にまだ、いないことを表明しておきます。