第2話
さて、私は普通に女子中学生となり、中学3年生の夏まで部活に明け暮れておりました。
部活を引退した時、「さて、どこを受験しよう」と考え出しました。究極にマイペースなので、全てにおいて、他の友人と時間軸が違っています。
標準以上の学力はあったので、当然両親は高校進学が当たり前と思っていました。私の両親は"普通"を絵に描いた様な生き方の人達です。
自由発想の私としては、「選べるなら好きな事をしたい!」となります。芸術系の事が好きだったので、「美容師の専門学校に行く」と言い出しました。
勿論、両親は反対します。「選択肢が広がるから高校は行った方が良い」と説得され、美容師にどうしてもなりたかった訳ではなかった私は、高校行きながらやりたい事を考えよう。と思い直しました。校則で縛られるのが嫌な私はなるべく自由度が高い進学校を選び、ギリギリ合格しました。
さて、次のターニングポイントは大学受験です。
当然私は今度こそ、好きな事を学びたい!と、高校入学してから夢見ていたファッションデザイナーを目指すべく、「専門学校に行きたい。」と両親に伝えます。
当時は今に比べてあまり専門的な大学はありませんでした。大学だと、『家政科』しか被服を学ぶところは無く(私の知る限り)有名ファッションデザイナー達は文化服装学院の様な専門学校出身が殆どでした。
ところがまたしても両親と先生の反対されました。「選択肢が広がるから大学は行った方が良い。」
私の選択は『ファッションデザイナー』と決めていた私は、ファッションデザイナーになれる大学を探しました。
今、考えると、美大でも良かったと思いますが、当時はファッションしか頭に無かったので、美大のチョイスは全く考えてなかったです。一つ決定的に決めると何も覆す事が出来ないのが私の性格なので、ファッション以外のデザインを学ぶ事は考えられなかったのです。
そこで見付けたのが、なんと、ニューヨークの大学!公立でカルバン・クライン等が卒業した学校でした。
そして、忘れていた子供の頃の夢、「アメリカに住む」を思い出しました。
「わー!これで夢が2つ一辺に叶う!」と大喜びで両親に報告しました。
第3話に続く
さて、私は普通に女子中学生となり、中学3年生の夏まで部活に明け暮れておりました。
部活を引退した時、「さて、どこを受験しよう」と考え出しました。究極にマイペースなので、全てにおいて、他の友人と時間軸が違っています。
標準以上の学力はあったので、当然両親は高校進学が当たり前と思っていました。私の両親は"普通"を絵に描いた様な生き方の人達です。
自由発想の私としては、「選べるなら好きな事をしたい!」となります。芸術系の事が好きだったので、「美容師の専門学校に行く」と言い出しました。
勿論、両親は反対します。「選択肢が広がるから高校は行った方が良い」と説得され、美容師にどうしてもなりたかった訳ではなかった私は、高校行きながらやりたい事を考えよう。と思い直しました。校則で縛られるのが嫌な私はなるべく自由度が高い進学校を選び、ギリギリ合格しました。
さて、次のターニングポイントは大学受験です。
当然私は今度こそ、好きな事を学びたい!と、高校入学してから夢見ていたファッションデザイナーを目指すべく、「専門学校に行きたい。」と両親に伝えます。
当時は今に比べてあまり専門的な大学はありませんでした。大学だと、『家政科』しか被服を学ぶところは無く(私の知る限り)有名ファッションデザイナー達は文化服装学院の様な専門学校出身が殆どでした。
ところがまたしても両親と先生の反対されました。「選択肢が広がるから大学は行った方が良い。」
私の選択は『ファッションデザイナー』と決めていた私は、ファッションデザイナーになれる大学を探しました。
今、考えると、美大でも良かったと思いますが、当時はファッションしか頭に無かったので、美大のチョイスは全く考えてなかったです。一つ決定的に決めると何も覆す事が出来ないのが私の性格なので、ファッション以外のデザインを学ぶ事は考えられなかったのです。
そこで見付けたのが、なんと、ニューヨークの大学!公立でカルバン・クライン等が卒業した学校でした。
そして、忘れていた子供の頃の夢、「アメリカに住む」を思い出しました。
「わー!これで夢が2つ一辺に叶う!」と大喜びで両親に報告しました。
第3話に続く