優しい日本人を応援し続ける | JUN-GMCオフィシャルブログ Powered by Ameba

優しい日本人を応援し続ける

※この記事は3月31日にUPしたものに加筆して再度UPしたものです。
※4月16日に予定しておりました、福島でのライブは中止になりました。


ご無沙汰してます、JUN-GMCです。いつのまにか桜の季節になりましたね。
なかなか更新されない、このブログを定期的に読んでくださってるみなさん、いつもありがとうございます。また今日初めてご覧いただいた方もはじめまして、一瞬でもこのブログに目を止めてくれてありがとうございます。
この度の震災について、今思っていることを書きました。長くなりますが最後まで読んでいただけたら幸いです。
まったくとんでもないことが起こってしまいました。たとえはよくないかもしれませんが、戦争や紛争が起こったくらいの国家の危機。しかも敵は自然、人間様の想定など通用しないのでした。
もちろん俺は無事です、あの日以来ご心配くださり、メールやメッセージ等で連絡くださった方々ほんとにありがとう。俺も常にみなさんの健康と無事を祈っております。
なかなか更新できなくて申し訳ない、なんか文章書く気力もわかなくて。いまだに壮大な損失感から抜けられません。

まず、この度の東北と関東を襲った大地震で、命を奪われてしまった方々に心からご冥福をお祈りします。また被災された方々にも謹んでお見舞い申し上げます。
余震もまだまだ続いています。被災された方々の不自由な暮らしを思うと、毎日三食暖かい食事を摂り、暖かい風呂につかり、暖かい部屋で電気を使いPCに向かって駄文を書いている自分を恥じ入る思いです。
俺がここから「頑張れ」なんて言っても誰に届くのか、誰の空腹を満たすことが出来るのか、こんなとき言葉は無力です。だから「頑張れ」なんて気安く言えない。自分が頑張ると、今はそれしか言えない。でも微力ながら一所懸命応援し続けます。

あの日からもう20日も経ってしまいましたね。この20日間、言葉もなくし、ただ歯がゆい思いでTVの画面を見つめていました。TVの前から動けなくなっていたし、自分に何が出来るかをずっと考えていた。
仙台 と福島には何度かライブで呼んでもらってるし、友達もいる。しかも今年の4月と5月にも行く予定でした。
実はこの地震の日にも、友人が東京から仙台を訪れていて、現地で動けなくなっていたのです。

2011年3月11日午後2時46分、俺は大好きなTBSラジオの番組「小島慶子キラキラ」を聞きながら車を走らせていた。番組は生放送だけど、そのときは録音のコーナーが流れていたと記憶している。
八王子と相模原を結ぶ国道のバイパスを軽快に流していると、突然車がふわりと浮く感じがした。道路脇の街灯にふと目をやると、自分の目を疑った。まるで風に煽られる柳のように、激しくしなっていたのだ。
地震か?すぐに車を路肩によせて停車させる。まわりの車も次々止まりだした。録音のコーナーのエンディングテーマが流れているときだった「大きな揺れを感じています」「みなさん頭を守ってください」と、小島慶子さんの、緊張がにじみながらも落ち着いた呼びかけが繰り返し流れた。
車の中にいても充分すぎる程揺れを感じた。しかも長い。窓を開けると大地の咆哮が聞こえ、激しく揺れが続き、このままさらに激しく、終わりのない揺れが全てを破壊してしまうのではないかとさえ思えた。
暫くして揺れが収ると、理由はわからないけどなんだか胸に込み上げるものがあった。自然の、そのとてつもない力の前になす術もなく戦慄した。
その時とっさに、この日の前日に宮城の方で少し大きめの地震があったのを思い出した。震源は東北の方ではないかとぐらいは思ったが、しかしこんなに酷いことになっているとは、そのときは予想できるはずもなかった。
とりあえず道路にも損傷はないし、まわりの車も動きだしたので、そのまま走り出す。
相模原市内に入ると停電していた。スーパーなどでは外に人が溢れ、信号が止まっていた。そして電話はいっさい繋がらなくなった。

やっとの思いで八王子に戻り家にたどり着くと、予想に反して家の中はたいして荒れていなかった。
母親が心配だったので、自転車をこいで実家に走る。無事を確認し戻る途中、道は大渋滞、遠くでサイレンが鳴り響き、駅前ロータリーにはバスやタクシーを待つ長蛇の列。八王子も帰宅難民が大量発生し、近くの公立小中学校が受け入れていた。 
午後11時過ぎに帰宅。TVをつける、徐々に明らかになっていく惨状。

翌日も翌々日も、ろくに食事も摂らずTVにかじりついた。まぁ食欲もなかったんだけど。
映像は淡々と現状を映し出す。増え続ける死者数、津波に呑み込まれ燃える街、原発の暴走、瓦礫に立ち尽くし家族がみんないなくなったと泣きじゃくる少女。
ツイッターを眺めると、凄まじい勢いで色んな情報が流れている。リツイートの嵐、励ましあいや、被害状況、さらに情報源のわからない怪しい情報も容赦なく流れてる。情報のリレー、みんな誰かの役に立ちたがっているんだということはわかった。
たしかにツイッターによる個人の情報の拡散能力は凄まじい。しかし、正しい情報を選択する能力がないと、振り回されてしまう。
俺は自ら発言する気になれず、横目に見ていた。まぁ有益な情報も持ってなかったし。

13日の日曜日くらいから、仙台の知人と連絡がとれるようになり、こっちから行っている友人とも連絡がついた。幸いなことにみんな無事だった。仙台市内は海沿いより被害が少ない様子だが、後から聞くと現状は凄まじい。
その後、仲間がこっちから物資を持って仙台に駆けつけ、みんな無事に帰ってこれた。かなり時間はかかったらしいが。

聞く所によると、諸外国から、日本人は冷静で水を貰うのにも文句も言わず並んでいて素晴らしい。と賞賛されているらしいが、そんなの当たり前だよ。日本人だ もん。
震災前に問題になっていた、メア日本部長も日本人は調和を重んじる文化でなんちゃらかんちゃら言ってたらしいが、そうだよ俺達日本人はいい意味で調和を求めるんだ、いざと なったら一つになれるんだ。昔からね。
コンビニの募金箱に千円札が何枚も入ってたし、信号の消えた交差点ではみんな譲り合ってた。みんな優しくなれるんだよ。優しさ を思い出せるんだ。今改めて思うよ、俺日本人でホントに良かった。
しかし残念なことに火事場泥棒はいるし、募金詐欺や募金箱泥棒もいる。まぁ、たけしさんじゃないが、そんなやつは撃ち殺せばいい。
しかし、そうはいっても仙台から戻った友人から聞いた話や、報道などでもたまに扱われる略奪。物資も届かず孤立し、極限の中、壊れた商店からやむを得ず食料品を持ち去るというのもある。まぁ、もっと酷い話も聞いた。悲しいけどこれも現地での現実だ。この類いの悲劇ももっと報道するべきじゃないか。

それとまぁ買い占めもわからなくはないよ、親は子供を連れて逃げようにも、ガソリンがなきゃ車は走らない。非常食も必要だ、だがその行為によって、今苦労してる人をもっと追い込むことになるなら、それは罪だ。
計画停電?無計画停電?そりゃ明かりの無い世界は静かで恐いよ。道路を挟んで向こうのビルはいつも電気ついてるのに、俺の部屋は必ず停電するよ。けどそんな時は思い出そう、津波に飲まれる街を、あの少女の慟哭を。少しくらい我慢できるはずだ。
だって避難所では乏しい食事と燃料で苦しみながら、頑張ると笑顔で答える80歳のおじいさんや、「全国のみなさん、ご面倒かけます」なんておっしゃるおばあさんがいる。そのお姿を見てたら何も言えないよ。みなさん近くて遠い昨日の風景を取り戻そうと必死に笑顔を見せる。こっちが励まされてしまうよ。極寒の大地に深く根を張り生きてきた人達だ、やはり東北の人は強い。
やはり、余裕のある人達はなるべくパニックにならずに、いつもの風景を守っていくってことが大切なのではないでしょうか。自粛が萎縮にならぬように。

危機的状況の原発。いっこうに終わりが見えない。東京電力は最善も最悪もシナリオは描けているのか?こんな最中に頑張ってくれとしか言いたくないが、現場で体貼ってるのは下請けの人間達だろ。それに自衛官、消防士の烈士達だろ。東京の本社のお偉いさん達の情報は遅いし、嘘もつくし……しかも社長は入院したし。
放射能差別が、野菜や魚だけに飽き足らず、人間にまで及ばないかが心配だ。

俺は、今回も自分の無力を痛感したよ。
もっと力が欲しい、人一人背負って瓦礫の山を越えれるだけの体力が欲しい。
もっと力が欲しい、システムに頼らずに生き抜ける知恵が欲しい。
もっと力が欲しい、俺がもっと売れてれば義援金も弾めるし、チャリティーライブや募金集めで貢献できただろう。
今回改めてわかったことがある、それはやはり紛れもない音楽の力だった。悲しいニュースを見すぎて疲れた時に音楽が楽にしてくれた。力を与えてくれた。
今自分が音楽に少しでも関われていていることに感謝。

11日に東北と関東を襲った大地震、大津波。その後誘われるかのように発生した、長野や静岡での激しい揺れ。30年くらい前に流行った小説、小松左京著「日本沈没」を思い起こさせる展開に、悲観して、この国の終末を感じてしまいそうになった。
しかし終わりは来ない。生きていくしかない、ただ生き抜くしかない。たとえ道がなくとも瓦礫の山を越え進んでいくしかない。その先には絶望はない、希望があるのみ。季節は巡り。必ず夜は明け朝がくる。焼け野原にも花は咲いた。
奇しくも前日の10日は、65年前東京に大規模な空襲があった日だ。一晩で8~10万人の人が亡くなったと聞いている。日本は先の大戦で、ぼろぼろに疲弊し失うものが何もない所からここまできた。見事に立ち上がった。
ただし、復興と被災者のケアは別文脈で考えた方がいいのではと思う。まだ行方不明の家族や友人を捜し続ける人達がいるのだ。
それと、やはりこの国は生まれ変わらなければならないと思う。前の状態をそのまま復元するのではつまらない。今回のことで、今までのシステムも政府もあてにならないことが発覚したでしょう。

今、色んな人が自分に何が出来るか考えてる。普通に生活できることがどんなに幸せなことかを噛み締めてる。
俺も今出来ることをしよう。
みなさんも今こそ大切な人の手を握ろう。そして握ったらけして離してはいけない。


最後に相田みつを氏の作品で、大好きな詩があるので載せておきます。とても心にしみます。


「奪い合えば足りず 分け合えば余る」



P.S
予定通り5月7日の仙台行きます。大変な中、頑張ってやるらしいので、お邪魔じゃないように行かせてもらいます。俺なんかの歌で励まされるかわかりませんが頑張ります。
DJ OASISや鬼やKOOGIも行きます。