Q1

某有名少年漫画に出てくる、べジー●の必殺技である「ギャリック砲」を使いたいのですが、彼のように上手く出すことが出来ません。どうすればこの必殺技が出来るようになりますか?



もの凄い富士額

になることです



雰囲気だけはでますよ(笑)



Q2

ジブリ作品では何が好きですか?



海が聞こえる


ジブリ作品では一番好きです



Q3

今までに言ったギャグの中で一番気に入っているのは何ですか?


僕が財布から小銭を取り出そうとしていたところ


先輩「なんだよ福山、俺に金をくれるのか?」


先輩にからかわれた時

僕はすぐさま財布から10円を取り出し

先輩の足元にそれを放り投げる


SE チャリンチャリ~ン



音が静まったその時に一言



拾えよ



命がけのギャグでしたが

爆笑を頂きました(笑)





Q4

女の子にモテモテな美形キャラと、超個性的な変わったキャラと、演じていて気持ちいいのはどっちですか⁇



勿論

後者です





Q5

定番の「眠気覚まし方」は何ですか!?




Hな事を考える

アレです




Q6

鼻にミニトマトが詰まってしまいましたどうやってとりますか?



ああ~

よくありますよねこういう事は…



って馬鹿っ!!




Q7

なんでポンチョ~ヌなんですか?


来ましたね

核心を衝く質問が


お答えしましょう

何故ポンチョ~ヌなのか!?


それわ


秘密です




Q8

スランプに陥った時、どのようにして、気持ちを切り換えてますか?


切り替えません


スランプであるならそれを受け入れて

その状態でのパフォーマンスを如何に向上させるかを考えます

肉体的にも精神的にも

どうしてもかみ合わない時は有ります

それを乗り切るのは

切り替えも大切でしょうが

今までどれだけ自分と向き合ってきたか

という事が

その逆境を乗り越える土台となるように思います


なので

スランプになった場合は

次にそれが来たときの為に

目いっぱいスランプを満喫します


そしたら何かしらの対策や戦略も思いつくやもしれませんしね

焦らない事です

まあ

スランプは辛いですけれどね(笑)



Q9

殴り合いのケンカをした事はありますか?



ありません

手を出すとその後どうなるかを考えてしまう性格ですので

喧嘩したとしても

怒髪天を衝くような事にはなかなかなりません

まあ仮に

そうなったとしたら僕は負けるでしょうね(笑)




Q10

“1つだけ潤さんが実写化する”
となったら
やりたくないキャラは何ですか(´∀`)?



新人の時やった


黒板消し







Q11

一日にいくつもの現場を抱えていらっしゃる時がありますが、現場と現場の間になにか気持ちや役柄を切り替えるスイッチとかアイテムって何かあるのでしょうか?



切り替えようと思った事がありません


場所も違えば

共演者もスタッフも違うし

演ずる役もセリフも台本も違うのですから

切り替える必要をあまり感じた事がありません


その場所場所で自然に切り替わるものだと思っています




Q12

デビューするときに芸名を使おうとしていたそうですが、何にしようとしたんですか?
また、今変えるとしたらどんな名前にしますか?



デビューではなく

今の事務所に移籍した時にキリもいいから

芸名にしようかと思っていたのですが

もたもたしていたら


本名で登録されてしまいました


ちなみに当時考えていた芸名は



環 潤(たまき じゅん)



芸名にしなくて良かったと思います

今となってわね(笑)






Q13

年齢や回りの変えることが出来ない事を抱えた上で何かにチャレンジをする事にたいしてどう思いますか?




称賛の意を示します

ただ

チャレンジの結果に対して

自分の覚悟の度合いが低い場合は別です




Q14

今までの人生を何か抽象的なもので表すと?



なんかアレですよアレ!

もやもやっとしてて

グワングワンとしてて

んでもって

スカッとすかんじてて

でろんでろんな雰囲気のアレがこうして出て来て…


あ…


……


なんか抽象的ですみません(笑)





Q15

私はエチュードが苦手です。
潤さんは養成時代に、エチュードの授業が
苦手だなぁって思ったことはありますか?



今でも苦手です

そもそも演技のレッスンが苦手です


芝居の稽古は良いんですが

なんか

レッスンという響きが好きになれません




Q16

自分の才能に限界を感じてます。努力は才能に勝てると思いますか?



勝ち負けがどのように決まるかで答えが変わるように思いますが

事柄を僕の考えやすいものに置き換えて考察してみます


始めに「才能」の定義を曖昧にしてしまっては

身近に有能な存在がいたとして

どうしてもその人物に先を行かれてしまう

そんな状況に陥ってしまった時に自分を見失いかねないと思います


そもそも「才能」って何ですか?

そりゃ勿論そんな事を一から議論するようなことはしませんが

皆さんの定義の中での「才能」とはどう位置づけされているのでしょうか

僕にとって「才能」とは「素養」と大差ないと思っています

またまた言葉遊びです


「才能がある」


こう聞くと

何やら努力もそこそこに要領も良く期間も短い中ですいすいと前に進み

あれよあれよと実力を伸ばしていきそうな感じに聞こえてしまします

しかしこれを「素養」という表現に置き換えてみましょう

前記したような何か知らないけれどすごく上達の早いというような意味合いよりも

「努力に応じた対価として自分の能力が伸ばせる」

というような雰囲気に取れてしまします

あくまで僕の中でではありますけれど(笑)


いわゆる「才能」ある人の出発点はどんなモノでしたか?

その「才能」ある人がどれほどの努力で今の地点に立っているのか知っていますか?

「才能」ある人が何を考えてそれに取り組んでいるか知っていますか?

こういった疑問を投げかければ本当にキリがありません

現在の自分とその「才能ある人」との差異を明らかにする事で

自分に何かしらの評価を下そうというのであれば

上記したような事まで一度考えてみてはいかがですか?


「才能は努力に勝る」

「努力は才能を凌駕する」


相反する言葉ですが

この二つは


ある一定の結果や成果を残せた両者を見た他者が

差異から経緯を読み取り比べた言葉


というように僕は感じます


そこで最初に書いた「才能の定義」になりますが

「才能」を実感するのは自分ですか?

自分よりもまずそれを実感するのは「他者」だと思います

努力や前進を続けていく事で自分でもそれを実感出来るようにはなるでしょう


僕の才能の定義とは


「その伸ばそうとしている能力に対しての栄養分を

無駄なく取り込むことが出来る事」


このように自分で定義づけています


肉体的に資質を要求されるモノや

「センス」という至極曖昧な能力等を

主に要求される環境に身を置いている方々には

残酷なくらい「才能」という言葉と価値が大きいと思います

しかし

どの世界でも

「才能のみで」成功した人物がいるでしょうか?

上記した僕の「才能の定義」の範囲で考えれば

いくら才能があってもその能力に栄養を与えなければそのままです

むしろ能力も痩せてしまうかもしれません

出発点が嫌になるくらい前にいる恵まれた存在でも

やはり栄養を能力に与えなければ

そのうち栄養を与え続けた存在に先を越されてしまうかもしれません


ではよく聞く

「才能には勝てない」

という言葉は何かが省略されているように感じます

それを付け足してみたら

「才能がある上に努力をしている者には勝てない」

という文章を僕は考えてしまいます


「才能には勝てない」

これは何か不公平というか理不尽なように聞こえますが

「才能がある上に努力をした者には勝てない」

これだと

むしろ賞賛の気持ちが芽生えます

だって努力しているんですもの


人生において一度くらいは

「こんなに努力しているのに何で!?」

という言葉やシチュエーションを

自分で言うか人から聞くかがあるように思いますが

この言葉で感じる事は

「努力は人には見えてない」「結果で努力を判断されている」

という事

当事者のはとても理不尽な事のように感じているでしょう

しかし「結果」を求め

求められているのであればそれはいたしかたないとも思います


でも

そういう言葉と同じくらい理不尽に感じるのは

「才能には勝てない」

という言葉です

んなことはありません

才能に努力が劣る筈はありません

「才能」は概念だと思います

「努力」も概念だと思います

結果を解りやすくするために用いているだけです


努力の末に成果を残せた人に

「努力が報われたね」

という言葉をかける

讃えているように感じます

対して 

同じように努力を重ねた者に

「才能だね」

という言葉をかける

なんか理不尽ではありませんか?


この場合は「努力」や「才能」の比較ではなく

それを見た他者の目の比較です

「才能」や「努力」だけでモノを判断するのはナンセンスです


人間も動物と同じように

「個体差」

があります

その差は決して埋められないものかも知れません

しかし

その活きていく過程でどれだけ自分に栄養を与えられるかで

その差を埋めてしまえるかもしれないのが人間でもあります


スポーツのように「数字」による評価が主な世界であっても

その人の努力と機転で肉体的資質だけでは残せない数字を残せる場合もあるでしょう

競技によっては肉体的に平凡でも他の素養でトップに肉薄する事もあり得るでしょう


「才能」に限界なんか有りません

「努力」に終わりも有りません

区切りを決めるのは自分です

人はモノを諦める時に

「才能の限界」「才能がない」

とよく言います

人に勝てなければやっている意味がないという価値観でそれに取り組んでいるならば何も言えませんが

そうでないならば今まで長々と書いてきた事にも多少の意味はあるように思います


諦める時の材料に「才能がなかった」という言葉を使うのは

努力をし続けてきた自分を貶めるように感じます

矛盾かもしれませんが

努力が出来ることも立派な才能なんですよ?


だって僕の「才能」の定義は

「その伸ばそうとしている能力に対しての栄養分を

無駄なく取り込むことが出来る事」


無駄があろうが無かろうが伸ばしたいモノに栄養を与え続ければ

与える内容が多ければ

その才能と同じ事だと思います


こういう考えですので


ワザとこういう言葉を使いますが

僕は努力は才能に勝てると思います


結果はとても理不尽ですが経過を輝かしく思う事も

ヒトには大切のように感じます








回答はまだありますが

文章が長すぎて携帯から見られる方には最後まで見られない

という事でしたので

前半後半に分けます


という事で前半部分はここまでです

続きは後半で!