奈良附属が、5月末に、管理教育方向へ大きく転換するとのこと。賛成します。
これまで奈良附属は、自由個性尊重だし、そのなかでも
特徴的な、少し別種類の附属式教育をしてきた。
その是非はともかく。
もっと大きく捉えると、
個性自由教育なんてのは、ナンセンスで
相当に偏差値が高い秀才スクールなら
個性自由教育をしてもよいが、
奈良附属など偏差値65にも満たない程度の学校で
自由個性偏重教育は、是正すべきだ。
なぜならフワちゃんKABA.ちゃんロンブー淳などを大量生産する高校になるだけだからだ。
本来個性自由とは、まあ、8パーセント程度あればよいわけで、個性自由性格が40パーセントを超えると、芸能人や将棋棋士、漫画家になるならともかく、変人や社会に不適応人材になるだけで
本業で
少しも、役に立たないクリエイティブかしらないが、空想ばかり言う人間を育成するだけになるからだ。
本業が92パーセントほど、あり、しっかりしていた場合に、追加美点として、クリエイティブや自由個性は
大きく効果が出るだけです。
つまり
本業あっての、個性自由のはずで。
本業でエリートや人口の8パーセントに入れない人間に
個性自由教育をしても、無駄。
80年後などの人工知能再生医療時代ならいざしらず、変な集団から浮きこぼれ、先輩や上司に社会に出てから嫌われる、そんな人材を造るだけになる。
世界規模の
テッセイ矢部幹部は、書いてる。嫌われ者が改革起こす、など。
嫌われても改革できるのは、やはり矢部幹部の人徳経営があってのもののはすで、矢部幹部みたいな人徳経営できる幹部は、世の中ではまあ出会えないはず。
つまりクリエイティブだけでは、一般社会では嫌われるだけなのだ。
偏差値が70あれば、早い話しが、簿記検定①級取得して、課長を会社で勤めれば、プレゼンテーションやデイスカッションの機会も豊富なので。そのため8パーセント程度の工夫の余地、個性自由クリエイティブを発揮する機会ももらえる。
しかし、簿記二級で個性自由のうわごとばかり言う若手が部下で入社するとどうだろう。
やはり、掃除ばかりさせられて、プレゼンテーションやデイスカッションの機会など、もらえるわけもなく。そのため
個性自由は、無駄だ。
つまり、高い偏差値の子どもにのみ、個性自由クリエイティブを附属式で教育すべきで、それ以外は、害悪しかないと思う。