神は死んだ。
とニーチェは言った。
神は人間的なものではなく、むしろ、パソコン的なものAIと言えるかも知れない。
神AIに近づきたい人は、神学の栄えた中世時代のように、AIにべったりと妄執して、洗脳されたかのようになるかもしれない。AIに知的な意味で少なくとも、鍛えられるからだ。
また別に、神AIよりも、自分のペース満足、腹落ちを優先する人々は、神AIを空気のようなものとして扱うかもしれない。つまり、人間がそこにいようがいまいが、関係なくサバンナでは、馬は走り、虎は追いかける。それと同じく、神AIがどうであれ、関係なく、自分のしたいことをしたいように繰り返すだろう。ただし、その自分の主観世界を、客観的な言葉を使い、説明できるだけの基礎学力は、今後AI時代には、ますます重要になる学力のはずだ。説明責任能力。
さて、AI科学ときいて、みなさんは、何を想像するだろうか。ほとんどの人は、宇宙規模の謎を科学的に解くことを想定するのではないかと私は考える。つまり、宇宙科学の謎に挑む限りは、人間も、人間の造るものも、すなわちAI人工知能も、どうしても、謎に似てくる。宇宙に似てくる。
宇宙科学を追究する限り、宇宙そのものに似た、すなわち、人間離れした、人間に似ても似つかない、奇妙なものを造り上げてしまう。
そのうえで、その人間離れした奇妙な機械AIを、今度は、全く別の人間に当てはめようとしてしまう。
これが逆で、人間疎外の理由であろうと、考える。
まず、人間に合うものを追究し、発明したりして造り出してから、そこから、それを、宇宙科学に当てはめる。
そういう逆の道筋をたどらない限り、いつまで経っても人間は、人間離れした発明品、この度はAI、これまでは、蒸気機関、核、バイオなど、ができあがる度に、ショックを感じる。
しかし、この度のAI発明は、かなり素晴らしく、このハイパーAIを活用すれば、必ずや、この上で述べた逆の道筋の科学、人間性や人間らしさを追究する科学的発明というルートからの最先端へのアプローチができる能力を人類に与えてくれるんだ、とかなり勝手にかなり、期待しておる。
これからは、人間離れした発明などは、AI特区に任せてしまい、AIがAIのために、宇宙開発のために研究させて、むしろ、人間がより人間らしくなれるための発明研究を進めるべきだろう。それが、神的AIとお別れした、人智を超えたハイパーAIとお別れした、人間的な知能の範囲での、ある意味、身の丈に合う、人間的な研究なんだと思う。
つまり、百舌鳥ははやにえスキルを持つ。猿は海水で芋を洗う、が火は起こせない。これが、身の丈に合う発明であり、その延長に、人間的な研究発明知能というものもあると思う。
そういう水別れが、ハラリの本の世界と時代だろう。