文学に恋愛や人生の指針を求めて19歳で入学した。しかし、文学それ自体は、それについては教えてくれず、むしろ、社会に出たほうが人生についてよくわかる。中略。文学要らない。単なるモラトリアムでしかない。むしろ、新聞学のほうがかなりマシ。
そうすると、なぜ、文学するのだろうか、ということになる。それはなぜなら、教養のため。教養というのだから、肩肘張っていてはいけない。スラスラスラっと、いとも簡単にマスターできて、片手間でできてこその文学教養のはず。その文学教養があれば、外国人とシェイクスピアについてや、赤毛のアンについて、平然と焦ることなく議論できる。やるなあ、と思われる。
そういうアクセサリー、天才の余力としての文学教養を追及する文学としての在り方しかわからない。
それなら、同じ外国人と議論するなら、TIMEやEconomist誌を読んで時事問題に精通していたほうが、かなり、良いのではないか?敢えてゲーテやメルヴィルなんかを暗記するほど読んでもあまり、金にもならないし、仕事にも繋がらない。余興、余力があれば、ドイツまで手を出してもいいけど、フランス文学ドイツ文学は、例えば壮年になって人生が成熟してきても、多くの人はあまり、しないだろう、と考える。
それよりも、一足飛びに、中国古典やミステリー小説を教養として、人生の指針、羅針盤として求めた方が、はるかに人生は安定する。そのうえ、楽しい。あるいは、やや、細かいところを突っついて、ドイツ心理学など。こちらは、専攻が文学から変わってしまってるが。心理学のほうが文学よりも、人生のテーマをしっかり追及している、と言える。単なる文学教養でもない。