男性は、女性の話題についていけないという。スイーツ、美容など。

しかし、

逆であると思う。

女性が、男性の話題に100年間文明開化依頼ついていけてないのが実情で、それは、古今東西西欧でも同じで、そのため、男性は女性を大人とはみなさず、かわいいだけのおとなしい女子を探して、浮気しまくるだけだと思う。


男性の人生の悩み、ヘルマン・ヘッセや、ゲーテ、シェイクスピア、歴史、デモクラシーなどの悩みや追求テーマの話題についていける女子が少なすぎる。文学部でも神大阪大以上になると、途端に女性が減る。政治でも議論のできる女性がいかに少ないかということがわかる。

その上、そのため、もはや、男性は百年以上前から、女性のことを話し相手になるとは見ていないし、そもそも、対等な話し相手になるようには期待すらしていない。そこからずれてる。だから、ミソジニーを主張して、どんどん女子が男子から離れて行くに連れて、それは、男性側からすれば、そもそも予定調和のうちで

なにも、今現代に始まったことではないと言える。

もう、6歳頃には男性は女性を、まともな、対等な話し相手とは認めず、その差があまりにも大きいので、その差は当然のこととして成人して生活している。

その上で、男性は女性をパートナーとして探すが、はて、何を根拠にして、パートナーになるのだろうか?

話し相手にもならない、とすれば、やはり、カワイイ女子であるかどうかだけであると思う。それが、昭和の伝統的な結婚の形であった。

そのため、

ミソジニーを言う前に、まずは対等な話し相手になるような、大人としての教養がある女性になることを、世の女性にまずは期待している。

大人としての教養というのは、ハーバード大やスタンフォード大学で求められるアーギュメントに耐えられる読書、知識、教養が理想だが、それについては、今私は補っているところだ。

そこまでいかなくても、神大阪大早慶程度の文学部の話題についていける程度の教養である。