創作でしたかったこととは、
私の考える美とは何かということで、
これこそが私が考える美文なんだ、美の世界なんだ、ということを、文体と中身を通して伝えたかった。
しかし、美文は、要らない。世の中では求められてないということが嫌というほど理解できたのが社会勉強を通じてである。
中略。
そのため、
磨いてきた腕前を何に活用すればいいのか、
書道の美、ドイツ語の美、ラテン語ギリシャ語の美、漢語の美、漢詩の美と、しっかり十年取り組んだものから、数日足らずで止めてしまったものもあるが、これら未だラテン語の大家でも、ラテン語の美を念頭に置き、取り組みを進めてる人もいる。
しかし、中略で述べたように、美は要らない、さて、中身だけ残った。
これらの分野領域の中身は貧弱で、とても現代の慌ただしい高度情報化社会に対応できない。そして、僕は途方に、暮れる。
ラテンギリシャ古典の壮大なテーマよりも、むしろ、お涙頂戴文学、マイノリティ文学の方が、現代の課題に効果良く対応してるのではないか、その実、答えは出せてはいないのだが、少なくとも格闘している、取り組んでいる、投げ出していない、象牙の塔に籠もっていないのだから。そう思えてならない。
つまりは、今まで、努力と、プロセスで積み上げてきた内容を活かす場が乏しい、ドイツ語、英語、書道は、単なる教養止まりか、という悩みだ。