ウェルテルが自殺志願者や、自殺妄想に捕らわれて、妄想から抜け出せなくなったのを、いつと捉えるか。それでウェルテルの読み方が、大きく異なる。


普通は、

小説の後ろから四分の三辺りで自殺志願者になったと考えるので、自殺したくなるような激しい恋に陥るぐらいにロッテは素晴らしい、と考えがちだが、実は違うと私は考えてます。


元々物語の始まる前、例えば2年から6年前から自殺志願者になっていた、希死念慮が取れなかったとは、考えられないか。

あるいはウェルテルが幼少の頃から自殺志願者になっていて、かなり、深く自殺思考を患っていたとは考えられないか。そうでないと簡単にピストルで自分を仕留めることは、いくらロッテが美しいとしてもできなかったのではないか。

即ち、単なる12歳から自殺癖があり、そのタイミングを図っていた精神病患者としてのウェルテルがいるだけだ。冷静に考えると。そこに、文学や愛などを童貞でナイーブな読者が持ち込み、強引に読み込んでいるだけだ。そして、それは、違うと思う。