私は書道を大学生になる前に辞めた。15年ほど続けていた書道だった。
今は書道どころではない。
英語、文学、ドイツ語としないといけないことが山ほどある。それに、ギターも辞めてしまったが、しなければならないとも言える。とても時間が足りない。
何かその道の大家になろうと思うと、やはり、一つ。強いて言えば2つまでだ。
とてもとても書道まで手が回らない。
そのうえ書道は、大好きだったが、下手だった。大好きでも、例えば一日2時間程度なら、本当に、大好きなのか、疑わしいものである。傍から見ればだ。書道家や書道が好きな人は一日8時間嗜んでもまだ飽き足りずやっている。正直に言おう、私はとてもとても、8時間も書道集中力が続かない。しかし、書道家やプロになるには何であれ、ピアノであれバイオリンであれ8時間のトレーニングは必須である。やはり、下手の横好きとしか言えなかった、若い頃の私。とても恥ずかしい。
それでも、私は書道が好きだった。書に親しむことで、無限に思考や趣向が広がったと言える。ヘルマン・ヘッセやオー・ヘンリーの延長に書道があったのだ。例えば小説家修養にはもってこいだった。しかし、私は小説家修養も既25歳で辞めてしまった。
私は今、エア書道家であると言える。
最低限、書道を通して学んだ粘り強さややり抜く気持ち、一流師範の所作、考え方を思い出しながら、私は今、書道以外の領域で頑張っている。
書道を十年以上取り組んだ経験は決して無駄ではなかったと言える、そして、充実していた十代に感謝している。初めて真剣に生きることについて身近で考えることができた。そして、自分の得意なことについても考えを深めることができた。
何より人一倍真剣で情熱的な私がいる。それは、偉大なる師範のおかけだ。
師範が祖父になり、大学教授になって、どれだけ祖父や大学教授が偉大かについて、理解を深めることが、できた。
習い事の良さだ。