今後どんどん尖るのが正解。
これまでの人生の結果、尖ってるのも正解。
人間には生活の中でどうしても偏りができてしまうもの。
元々ひとりひとり違うように仕上がる。
理系の人は文系になれないし、
ピアノを弾く人は絵をかけない。
ご飯を食べてる時間は、寝ることはできないし、
寝る時間も人それぞれ、
朝まで夜勤がある人、昼には仕事が終わる人。
尖ることに恐れなくていい。どんどんとんがって、専門バカみたいに見えればいい。
大愚元勝和尚さんの講話ユーチューブを見て思いました。
小綺麗な完成度を、見せてくれてますが、そんなことは、現実世界にはないんではないか?ということです。あくまでも、人気ユーチューバーなので、お人柄が丸くなるように示してくれてますが、それは、民衆が心の底で理想とするものであり、現実ではない。あくまで、別の世界で生活されているからこそ完成した丸い人格のように思えます。
そこから、翻ると我々凡人は、尖ることを追求することで、完成していけばいいんだ、と思いました。
その一人ひとりが違うこと。すなわち、
違いすぎるから、スマイルと、コミュニケーションで、快適に人間関係を保つと、
コミュニケーションできているように傍から見える。美しき交流、理想的な集団に見えることが大事。人間が一人ひとり同じで丸いように、傍から見える。
そこを目指していかなあかん。
それが社会で生きる、活躍するということ。
一人ひとり、一つひとつ違う個性の奏でる心地よいハーモニーで良い。だから、個性の追求だ。個の完成。
あとは、コミュニケーションのスキル、
ノンバーバルなギミックで円滑な人間関係のフリをするだけ。
そういうように、世の中はなっている。そういうようにできている。
それが疲れた。
どうして疲れたのだろう?
どこにこの理論に穴があったのだろう?
一つはトンガレなかったこと。つまり、専門性追求が疎かになっていた。
一つは、違いが、わからなかったこと。
みんなを、漠然とくくりひとまとめにして、同じ人間ばかりや、とつまんなかったこと。背景には間違えた努力、見苦しいあがき、間違ってる取組をさも、大正解であるかのように自信満々で追求するアホな小市民を見たとき、失速してしまったこと。それではない、そうじゃない、という気持。では、どうあるべきなのか?そこが曖昧になっていた。つまりは、専門性の追求をサボるからだ。別の問題としては、小さな差異解消の努力に疲れすぎたことがある。
そして、もう一つは、
漠然と見てはいけない!という指示を真に受けてしまい、細かく見すぎて、違いにこだわりすぎたこと。そのため、小異が大異に思えて、疲れすぎたこと。頑張りすぎたこと。
など。
これまでの人生の結果、尖ってるのも正解。
人間には生活の中でどうしても偏りができてしまうもの。
元々ひとりひとり違うように仕上がる。
理系の人は文系になれないし、
ピアノを弾く人は絵をかけない。
ご飯を食べてる時間は、寝ることはできないし、
寝る時間も人それぞれ、
朝まで夜勤がある人、昼には仕事が終わる人。
尖ることに恐れなくていい。どんどんとんがって、専門バカみたいに見えればいい。
大愚元勝和尚さんの講話ユーチューブを見て思いました。
小綺麗な完成度を、見せてくれてますが、そんなことは、現実世界にはないんではないか?ということです。あくまでも、人気ユーチューバーなので、お人柄が丸くなるように示してくれてますが、それは、民衆が心の底で理想とするものであり、現実ではない。あくまで、別の世界で生活されているからこそ完成した丸い人格のように思えます。
そこから、翻ると我々凡人は、尖ることを追求することで、完成していけばいいんだ、と思いました。
その一人ひとりが違うこと。すなわち、
違いすぎるから、スマイルと、コミュニケーションで、快適に人間関係を保つと、
コミュニケーションできているように傍から見える。美しき交流、理想的な集団に見えることが大事。人間が一人ひとり同じで丸いように、傍から見える。
そこを目指していかなあかん。
それが社会で生きる、活躍するということ。
一人ひとり、一つひとつ違う個性の奏でる心地よいハーモニーで良い。だから、個性の追求だ。個の完成。
あとは、コミュニケーションのスキル、
ノンバーバルなギミックで円滑な人間関係のフリをするだけ。
そういうように、世の中はなっている。そういうようにできている。
それが疲れた。
どうして疲れたのだろう?
どこにこの理論に穴があったのだろう?
一つはトンガレなかったこと。つまり、専門性追求が疎かになっていた。
一つは、違いが、わからなかったこと。
みんなを、漠然とくくりひとまとめにして、同じ人間ばかりや、とつまんなかったこと。背景には間違えた努力、見苦しいあがき、間違ってる取組をさも、大正解であるかのように自信満々で追求するアホな小市民を見たとき、失速してしまったこと。それではない、そうじゃない、という気持。では、どうあるべきなのか?そこが曖昧になっていた。つまりは、専門性の追求をサボるからだ。別の問題としては、小さな差異解消の努力に疲れすぎたことがある。
そして、もう一つは、
漠然と見てはいけない!という指示を真に受けてしまい、細かく見すぎて、違いにこだわりすぎたこと。そのため、小異が大異に思えて、疲れすぎたこと。頑張りすぎたこと。
など。